さくらばのダベリバ

頑張って生きてます。ダベるだけで読者増を目指す、チャレンジブログです。

「できっこないよ」と言う勇気

 中学生だった頃。スマホが珍しくて、将来の夢の欄に〈YouTuber〉と書くこどもなんていなかった頃。ある日の理科の授業のグループワーク中に、僕は友達を集めて言った。

 「一緒にYouTubeで動画撮らないか」と。

 

 はじめに記しておくと、これは有名YouTuberの始まりの物語じゃないし、今はYouTubeで成功できる気はしていない。だが、当時の僕は口では予防線を張りながら、「面白い俺たちだったら有名になれるんじゃないか」と本気で思っていたのだ。

 グループ内でひと笑い起こったあと、「やろう、やろう」と盛り上がりながら、仲の良かった3人とラジオ動画を撮ることに、成り行きで決まった。どういう成り行きだったかは憶えていない。

 実際に撮影する日時と場所を決めることになって、若かりし僕はもうウキウキして、動画のタイトルやチーム名まであっという間に考えてしまった。

 学校でのみんなとの毎日はどうにも面白すぎるんだ、この面白さは、きっとYouTubeでも通用するはずだ。

 ネットが宇宙のように広大なのはわかっていた、でもそんな宇宙から僕たちのはしゃぐ声を聞きつけて、面白い奴らだと言って見つけてくれて、気づけば周りに視聴者がたかってくれているんじゃないか。

 そう信じきって、自宅に招いて、意気揚々と第1回を収録した。つまらなさそうにした奴は一人もいなかった。貧弱なWi-Fiからアップロードした翌日には、「再生回数伸びてんじゃん」と喜んで話しかけてくれたし、早く第2回を出したいと舞い上がって、一日のうちの結構な時間を、ラジオ動画で話す内容を考えることに充てていた。

 

 そうやって始まったYouTubeへの動画投稿は、月に1回を続けるはずだったが、休むメンバーが出始めて、内容もぐだぐだになって、結局半年くらいで自然消滅してしまった。

 

 

 中高を卒業して成人して、時たまアルコール片手にクラスメイトが集まるようになると、当時僕たちがラジオ動画を上げていたことが、ちょくちょく話題になった。同じ学年で中高生時代YouTubeに動画投稿していたのなんて僕たちくらいで、主導していた僕は特にイジられた。思い返せば若気の至りすぎて、とっくに自分で恥ずかしくなっていたし、YouTuberネームで呼ばれて顔から火を吹いたりもした。

 そういう飲み会を何回か経ると、ラジオ動画を撮ったメンバー3人が揃う機会に恵まれた。僕たちは極力YouTubeに話題がそれないように仕向けたが、「そういえばこのメンツって昔さ……」と結局皆に思い起こされてしまう。

 「やってたねー、ラジオねー」

僕はイジられ慣れていたので、受け答えしつつあまり慌てふためかないようにした。それでもまあ懐かしくはあったから、「懐かしいよな、ラジオ動画。よく何回も撮ったよな」とメンバーに話を振ったのだ。

 

 するとメンバーのうち2人が苦笑いして、当時のことを話し始めた。

A「あれさー、さくらばだけマジで本気になっててさー」

B「そうそう。あのときAと2人で冗談だよな…? って裏で言ってたんだけど、どうやらコイツ本気だ…! ってなって」

 

 酒に弱くて真っ赤だったのに、それを聞いて、血の気が引いてしまった。馬鹿だと思うだろうか。

 その場では「えーーー」と言ってみせた。中くらいの大笑いが、仲間中で起こった。話していなかったメンバーのもう一人、Cも、一緒になって笑っていた。

 でも飲み会がお開きになり、解散を繰り返して、人が減って、とうとうひとりになったとき、僕は真っ赤な顔に冷静なおつむで、泣きそうになっていた。

 馬鹿だと思うだろうか。

 

 今俯瞰すれば、そりゃ僕だって、当時の自分は馬鹿だったと思う。あんなクオリティで有名になろうだなんて、浅はかすぎる考えだったと恥じる。

 だけど、俺たちは面白くて、この面白さを世界に発信したいと思って、ネタや構成を考えていた当時の自分は、本当に本気だったはずなんだ。

 

 彼らメンバー3人は、同じ背で、同じ足並みで、一緒に進んでいた仲間なんかじゃなくて、突っ走る僕にハーネスを着けた保護者だった。僕という餓鬼のままごとに、つきあっていただけだった。

 

 

 僕は、中学生の頃から、憐れまれていたのだ。

 

 

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 僕にも「将来の夢」というものがあった。YouTuberではないものだ。小学生までは豪語していたし、卒業式で証書を貰う前に、壇上で将来の夢を言わなければいけなかったときも、思うがままに叫んでみせた。

 ところが中学生になると、「そういう夢を持つキャラ」からはかけ離れてしまったし、実力も人に見せられるものじゃなかったから、夢なんて語らなくなっていた。「総理大臣になるから」と当たり前な顔をして言う奴を笑いながら、自分が夢を聞かれたら、自身のキャラに合う嘘の夢を言ってはぐらかした。

 夢だけじゃない。僕に関するいろんなことを、友達から家族にまで隠して、それっぽいことを言っていた。そうやってのらりくらりでも、中学高校は生きてこられた。しかし勘がいい奴はどこにでもいるようで、僕の嘘を吐く癖・隠す癖は2度見破られた。

 「お前、ピエロかよ」と誰かに言われたのが1度目。何かのギャグか、モノマネを披露していた時だった気がする。

 ピエロ。芸ばかり見られて心を訪ねられることのない、悲しい存在。そうか、そうか。と、まさしくピエロのように笑いながら僕は妙に納得してしまった。こういう言葉は誰が言ったか鮮明に憶えてしまうものだが、これだけはどうも思い出せない。

 「相手の素敵なところを書き出そう」という道徳のような授業で、「個性があるようで、ない」と書かれたのが2度目。コイツが誰かは憶えている。6年間学び舎を共にしたが、結局よくわからなかった奴だ。「いや、素敵なところを書けよ!」とツッコみそうになったが、続けて「でもそれって、人に合わせられるということ」と書かれていた。

 ああ、そうだよ。人に合わせてきたんだよ。

 図星だと思われないように、気丈に振る舞った。また隠してしまった。

 

 そんな中学・高校生活でも、一度だけ本当の夢を口にした事があった。帰り道に、当時片想いしていた女子に。ろくな努力もできていないのに、「彼女にだけ宣言して、それで宣言通り夢を叶えたら、かっこいいじゃん」とか思っていた。青春っぽいことがしたかったんだろう。

 彼女は「へえ」とだけ言った。もうとっくに忘れているだろう。しかも僕と夢が似ていたようで、ちゃんと夢に向かって努力していて、数年後、先に僕と同じ夢を叶えてしまった。

 

 家族には本心を一番言わなかったし、今もなお言っていない。弟への育児の方針で父親と口論になった、なんて到底言えない、親という権限を頭ごなしに叩きつけられた。「こんなに話が通じない人間が、まさか身内にいるのか」と、小学生の僕は絶望して、それから一切家庭内で本心を口にすることはなかった。

 父親が借金で破産し離婚することになり、僕は弟と手を繋ぎ、当然母親について行った。母はまだまともだと、少しは理解してくれると思っていたから。だが、しばらくして別の男と再婚してから、その男の頭がおかしいのか、そもそも母に男を選ぶセンスがないのか、母はどうにも気が違ってしまった。

 ずっと毒親に囚われている弟が、今でも不憫で仕方ない。産まれたばかりの弟を抱いた瞬間、「こいつだけは幸せにする」とあれだけ誓ったのに、結局今彼らから逃げて、弟を見殺しにしてしまっている自分が、父よりも母よりも、この世の誰よりも許せないのだ。

 

 

 こうやって、友人に嘆くでも父母に叫ぶでもなく、文字にしたためてネットの海に流すことしかできないのが、僕という若輩者だったりする。

 

 

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 先日、鮎川ぱて@しゅわしゅわPさんが投稿した、大きな流行をみせた楽曲『うっせえわ』に関する批評の記事を読み、これに妙に納得してしまった。(私自身完全に理解した訳ではないだろうから、実際の記事を読んでほしい)

gendai.ismedia.jp

 

 現在の若者は、大人に期待しない。年長者を相手にしない。目上の者に本音を伝えることを諦めている。

 それだけを訴える記事ではない。だが、そういう〈他者への諦念〉を抱いているのは自分だけじゃなかったんだ、と安心したのだ。だから納得というよりも、この心は安堵だ。

 

 『本音で話さないから、聞き流される。』

 『聞き流されるとわかっているから、本音で話さない。』

 この2つの悪循環だ。

 

 産まれたばかりの人間は、こんなものにハマってないはずなんだ。

 自分の持っているボールは誰かに投げればキャッチしてくれて、同じように自分に返してくれる。それが当然だと思えているから、赤子は小さいからだで懸命に、泣きじゃくったり笑顔を振りまいたりする。

 けれどどこかで無視されて、相手にされなくて、投げたボールが返ってこなくて。はじめは何かの間違いだろうと懸命に投げ続けるだろう。だけど途中でなんだか怖くなって、ボールを誰かに投げようとしなくなるのだ。だって学習するから。「もう伝えようとしても届かないんだ」とわかってしまうから。壁当てでもなし、誰にも届かないのに、自分たった一人で虚空にボールを投げるのなんて、馬鹿らしくなってしまうから。

 そうなるともう駄目だ。人間は案外脆いんだ。悪循環に陥って、自分を形作れないままくらくらと生きて、自己肯定感がずたぼろになると、『他人が褒めてくれるのは本心じゃない、どうせお世辞だ』が生まれる。人から投げられたボールがうまく取れなくなる。

 そうしてボールがうまく取れなくなった人が、またボールを投げられない人をつくる。

 

 僕はこういう二十数年間を生きたため、本当に信頼できる人間はごくわずかだったりする。そんな僕にも他人を心から信頼して、時間を共にした瞬間が何度かあって、仲の良いメンバーとのYouTubeへの動画投稿はその一つだった。だから、あの時あの4人の中で、俺だけが馬鹿だったんだと突きつけられたことが、本当に悲しかった。だったら俺だけが馬鹿でいいから、「俺たちは本気じゃないよ」とあの時言って欲しかった。思わせぶりってやつなんだ。

 AとBに悪気はちっともなかっただろう。繰り返すが、僕だって当時の僕は愚かだったと思う。だけどもうラジオ動画の思い出は、「昔みんなでやった馬鹿」ではなくなってしまったから、僕の口からすすんで吐き出すことはもうないだろう。

 

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 夢を追うことは素敵だ。だが、いつまでも夢を追うだけじゃいられない。

 大人によく言われたし、これを飲み込んだ人もいれば、「うっせえわ」と唾を吐いているこどもも、大人もいるだろう。僕も餓鬼の頃からの夢を曲げずに、唾を吐く側の大人になってしまった。

 自分自身と、小学校時代の奴らと、片想いしていた女子しか聞いたことのない夢。それをまだひとりで追えているのは、「自分には才能がある」と思い込めているからだ。

 しかし否応なしに、社会の人々の存在を知覚してしまう。満員電車に詰められる会社員は、抱いたはずの夢を置いて、自分か家族か、誰かを養うことを頑張っているし、自分より年下の学生が、すでに才能を開花させて、その分野で金を貰っていたりする。そういう他人の情報がなだれ込んで、まだ愚かに追っている自分がどうしようもなく不安になる。

 だってもしかしたら、自分に才能なんてないのかもしれないんだから。

 

 たくさんのファンに囲まれながら夢を追う人の足元に、ひとりで夢を追っている人がたくさんいる。

 昔はみんな一人で夢を追っていた、井の中の蛙だった。今はネットやSNSを探れば、すぐに頂点の存在が見える。大海の覇者が悠然と泳いでいる。故に、今からあんな大きな存在に成るなんて「できっこない」と考える人は、視野が狭かった昔よりずっと多い。

 

 でもそれを直接言うのは残酷だから、無責任に「できる」と嘘をつく。

 

 みーんな優しくなった。傷ついてしまうかもしれないことは言わなくなった。だって後から先生や上司にチクられたり、訴えられたり、あまつさえ死なれたりしたら大変だもの。

 だからお世辞や社交辞令だけ掛け合うんだ。本心っぽい嘘でやり過ごすんだ。

 それが自己と他者を分断する人々を増やすんじゃないのか?

 やめにしないか、嘘つき人生は。

 

 家族は、親友は、恋人は、夢を追う者に「できっこない」と言ってあげてほしいとすら、僕は思う。

 

 

 「できっこない」と笑う大人を押しのけて、こどもがヒーローになる。『ONE PIECE』や『NARUTO』といった偉大な漫画はそこから物語を始めた。図体も態度もデカい大人から、「やめとけ」という圧力を受けて、それでも己が夢を柱に屈せずに、努力や鍛錬を重ねて夢の実現に近づいていく。その様式美は、こどもから大人まで多くの人々を奮わせ元気付けてきた。

 「そりゃそうだけど、それは漫画の話でしょ」

 確かに漫画の話だ。漫画の主人公は誰もが屈強でまっすぐすぎる。罵詈雑言を浴びせられても拗れずへこたれず、バネのように躍動できる。裏を返せば、だから漫画の主人公になれたのかもしれない。

 では現実は漫画じゃないから、「できっこない」なんて酷いことを言う人間は要らないだろうか。

  擦り切れてしまった僕にとって、彼は「本音を言える勇気ある人間」で、人生に欲しい存在だ。

 

 「村で一番非力なお前が最強になんかなれるわけねえだろ!」

そう嘲る大人は、主人公にとっても読者にとっても「嫌なヤツ」である。一方で、その嫌なヤツは「本音を口にしている」と言い換えられる。自分を傷付ける刃ともなろうが、それでつく傷は、自分で見つけて治せる外傷だ。少なくとも、後から体内で爆発するタイプではない。

 だから、僕からすれば結構健全なキャラクターだし、僕の周りにもこういうヤツが居ればよかったな、とさえ思う。 

 コイツにはできっこないと思いつつ「きっとできるよ、頑張れ」なんて言うのは、「できっこない」と言うより残酷だ。だってそれは同じボールを投げ返してないんだ。投げられたボールを無視して、偽造したボールで投げ返したふりをしているだけなんだ。いつか僕のように、あの言葉は偽物だったんだと気づいて、信頼する人リストの顔にバツ印をつけてしまう。「できっこない」と言っておいて、後から「私はできると思ってた」もナシだ。

 

 「できっこない」と言うことは、すなわち敵になる勇気だ。誰かの強固な壁になって、跳び越えられて踏み台になって、それからは見向きもされない存在になる覚悟だ。

 

 

 なんとも思ってないのなら、無責任な励ましでたぶらかさないでくれ。お前には無理だとも言えないのなら、もう隣に居ないでくれ。

 憐れまないでくれ。

 

 

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 僕は自分の人生を、「誰かのせいで失敗した人生」にしたくないのだ。「誰かのおかげでうまくいった人生」にしたくないのだ。「俺が言ったとおりだろう?」とか死んでもごめんなのだ。

 「人はひとりでは生きられない」なんて勿論百も承知だが、これ以上他人の作為に自分の人生を振り回されたくないのだ。

 悪癖だとわかっている。しかしどうしても、他人の好意を素直に受け取り感謝することができない。いつぞや好意を渡してきた相手が偉そうで恩着せがましくて、自分の成功の脳裏にそいつのしたり顔がよぎったりしたのだろう。

 僕はおそらくこのまま、夢を描く筆を黙って握り続けるし、一向に叶わないなら、いつかはその筆は自分で折る。それが邪道を選んだ者としてのけじめだ。

 他人に諦めさせられたら、それはもう誰の人生かわからなくなるから。自分でゴールとデッドラインを決められて、人は初めて健全に、夢を追い続けられると思うから。

 

 でもそれは、決意と相反するけれど、寂しいものだ。

 

 

 

 近しい人ほど本音を言うことが真摯だ、と考えるような人生を送ってきた。寂しい人生だけど、「お前は馬鹿だからなあ」とケタケタ笑いながら、本音で話し合える人であるほど、隣で歩んでくれていると感じられる。

 ここまで読んだ人にも、できっこないと思うならそのとおりに言って欲しいけれど。

 本当に、本当に、あなたならできると思うのなら。

 伝えてあげて欲しい。「自分はここにいるよ」と。

 

 

「本当に」を乱用するのも、僕の悪癖だ。