さくらばのダベリバ

頑張って生きてます。ダベるだけで読者増を目指す、チャレンジブログです。

折り目はまだつけない

 気が沈む天候に戻ってしまい、今日はスーパーへの買い出し以外外出しないつもりでした。帰り際、しっかり雨粒が頭に落ちてきましたし。

 それでも私は、自転車に跨り、隣町の本屋に向かうのでした。

 隣町って現実だとどこからだろう。私の小さい頃のイメージは、住んでいる町との間に川と橋があって、橋を渡ったら隣町って感じ。書くことなさすぎるだろ。

 

 

 私は気分転換や暇つぶしに、よく本屋に入ります。カフェはよく使うには高い。図書館はなんだか厳かすぎる。マックは作業しによく入るけれど、頻度が高くなると「また俺マックにいるよ…」となぜか悲しくなってしまうので、最近は控えるようにしている。

 

 本屋はすごい。老若男女が同じ空間で、異なる時間を過ごしている。こどもが駆け回って怒られたり、ブロックやパズルのコーナーでじっとしている横で、学生と社会人が本棚をなぞっている。視界のどこかで老爺老婆が歩いていて、こんなに人が多いと喧騒が起こりそうなものだが、不思議と皆穏やかでいる。まあコロナも貢献しているのだろうが。

 そうやって人々を紙と共に押し込めてなお、幸福感を持たせられる空間。人が本から離れようとも、本屋は人から離れない。放さない本屋すらある。

 何読んでるか通りすがりの人に見られるの恥ずかしくて、つい隠してしまわない?私だけ?別にやましいもの読んでるわけじゃありませんけどねーーー。でも人って案外他人のことなんて見てないよ。案外ね。

 圧迫感すらある膨大な紙の並びに、私は安心感を覚えます。部屋汚い方が安心するのと一緒。ダメ人間。でも本屋は物理的にだけじゃなくて、情報的にも圧迫してくる。数百ページこんこんと書いてきた人間と時間が詰まってて、左隣の本は全く真逆の理論を繰り広げていたりする。

 3分もあれば一周できる部屋の中にある本を、私たちは死んでも読みきれないんだぜ。

 そういう情報の波が私のパーソナルスペースを破り肉薄してくるので、私は驚くとともに、彼らに圧縮された空気で暖かさを覚えるんだ。

 

 

 ひととおり棚を巡ったのち、そういえばアレ発売されていたな、と買いたい新書を思い出し、検索機を打つ。在庫状況の欄に○が付いていたものの、店頭の棚には置いていないようだ。つまり店員に声をかけろということだったが、客をかきわけ勤めている店員を見て、結局Amazonで買うことにした。「仕事増えると大変だろうから」は建前。「仕事増やしやがって面倒だなあとか思われたくねえ」が本音。

 

 感染クラスター言いながら、みんな結構本をしっかり握って立ち読んでいた。みんなちゃんとアルコール消毒してるう?

 

 

 日没前に帰宅。アチィェ〜と思い気温を確認してみたら23℃。湿度が高いだけだった。嘘だろう。

 まだ5月だぞ⁉️ ……5、6年前からの常套句。