さくらばのダベリバ

頑張って生きてます。ダベるだけで読者増を目指す、チャレンジブログです。

云年ぶりに芸劇へ! 〜高校演劇都大会2022感想 2日目〜

 言葉を選びながら書いていた結果1日目の感想だけで翌朝6時になってしまった。素早く的確な講評ができる講師の方々の凄さを実感します。

 なんとか仮眠の時間をとって、再び池袋へ!

 

(↓1日目の感想はこちらです↓)

sakuraba-no-daberiba.hatenablog.com

 

 寝不足だったので帰宅後すぐに寝てしまい、日付が変わってから打ち込み始めています。もう既に表彰が終わり、関東大会進出校が決まったのだとは思いますが、感想にバイアスがかかってしまいそうなので書き終わるまで結果は見ないでおきます!

 

 2日目はシアターイーストで5校! 異なるシアターを体感したいのと、できるだけ多く生徒創作が観たいがためにこのように選ばせていただきました。イーストは緞帳がないこと、ステージが低いこと、箱全体が真っ黒で、壁や客席も演出として使えることが大きな特徴です。

 そんなイーストにしかない特権を使いこなす学校がたくさん登場しました!

 

 

 

 

 

8.銀河鉄道の夜が明ける 早稲田実業高等学校(多摩南地区)

 この2日で見た作品たちの中で、唯一創作を示す○がついていなかった演目、かと思いきや、6年前に創られた脚本を新しく仕立てたということで、実質創作や!

 創作が正義と断じるわけではないけれど、今を生きる彼らの意志が映し出されたものを見たかったので……!

 

  • 美しかった。月並みな感想すぎるな。でも本当に美しかったんですよ。先輩がやっていたというだけで、今舞台に立つ彼女たちに連続性とか生まれ変わりだとかはないのに、彼女たちが秘めている宝物を覗いたかのような感覚がある。しっかりと自分たちのものにしたのだなあ、と。
  • 物理的な美しさで忘れられないのはやはり、照明によって視界一面に広がる星々。イーストで観れてよかった、演れてよかったと一番感じます。イーストはステージが低く、最前列以外は観客席から舞台上を俯瞰する構図になるため、舞台上から振り撒く力がウエストに比べて出しづらい、それこそ銀河感(?)を後ろまで届けるには努力と工夫が必要だと思うのですが、この照明によって四方を星空で包んでくるの、忘れられないなあ。とてつもなく効果的でした。
  • 少女の漂わせる儚さと、履歴書を書く青年の発狂っぷりがすごい。両者とも別ベクトルの存在感を放っていて、よく覚えています。
  • ケンタウルス座のお祭り、星の玉が規則的な回転をしていて、少し現実に引き戻される。ライトを付けた棒が直線で、人工物っぽさが残っていたのかもしれません。
  • 作品自体が虚構的なので、この現実、今を生きる役者の思いと、どう交わらせていくのか。今の自分たちの思いを反映させるとはいえ、もちろん劇中にコロナの前提はないし、時代背景は6年前よりも離れている。でもいつの時代だとしても、少年少女の抱える生きづらさというのは確かに存在していて、それは高校演劇の原動力の主と言える……。(全くまとまらないですが整理のために書き残します)
  • なぜ今この作品を選んだのか、役と自己との結び付けに、役者一人ひとりがどのような結論を出したのか、知りたくなります。実際の稽古の様子も見てみたくなりました。

 

 

 

9.たがらダカラ 都立田柄高等学校(城西地区)

 まーじで面白かった。あの瞬間、観客とシアターイーストは、全部君たちのものでした。

 

  • ルイス君の走りのフォームやばくない? というかルイス君挙動全部やばくない? 最初に書いておきたかった。多分何かが1本多い。
  • コロナ禍設定のある演劇部、現実に限りなく似た舞台。部員も多くない、道具も10段階中1くらいしかない。シアターイーストだだっ広い。さてどうする!? ……そんな心配は無用でした。何もないステージ走り回るの、楽しかっただろうな。
  • パンフレット見過ごしていたけれど、ネパリさん本当にネパールから来た演劇部員なんですね。衝撃だった。外国人の喋り方で笑うことはいずれ世間に糾されるのだろうという不安も湧きますが、気兼ねなく笑っていいネタにも溢れていました。
  • まさかこの令和の世に電車ごっこを見ることになるとは。
  • ネパリさんが異質だと思わせといて、日本人3人の方がよっぽどクレイジーというね。全員心の底から「要るキャラ」なのが良い。少人数の演劇部だと脇役設けてる余裕なんてないんですよね。故に濃くなる。多人数では絶対出せない濃度。
  • 演劇部解散の危機に、ご都合主義でIQを上げたりすることなく、どうしようもなくアホであるまま、あるがまま直向きに解決に臨む愛らしさ。みんな直向きだから遺恨なく解決できる。なんでこんな愛らしいんだ? たがらダカラですか?
  • ネパリさんのダンスのキレすごい。見てて気持ちがいいですね。

 

 「田柄だから」が口をつく彼女たち。そのフレーズは覆しようのない置かれた環境への諦念であるとともに、実は心のどこかでは支えになっている。というのが……いいな。画面に向き合う今になって沁みてきます。よくぞ都大会にやってきてくれました。日本中に偏在する小さい演劇部たちの光になりますね。

 大会の最後に様々な賞が用意されていると思いますが、ルイス君のために消費カロリー賞を作ってあげてください。

 

 

 

10.フヅキココノカ。 東京学芸大学附属高等学校(山手城南地区)

 読み取れなかったー……。

 すげえ悔しい。いじめを取り扱う作品に慣れてないってことなのかなあ。

 

 いじめとか暴力とか殺害とか、そういう暴力的なシーンが入ると、観客は警戒態勢に入るわけですよ。観客と役が初めて相対して、本来であれば、速度に差はあれど役一つひとつへの理解度と好感度を上げていく作業が始まるところを、いきなり好感度マイナスに突き落とされるわけですから。

 この作品もそこから始まりました。上手の3人が底から。いじめものに耐性がない私はやはり最初から「あーいじめ系ねー」となったわけです。しかもしっかり観客も不快になるいじめ。どんなに笑わそうとネタを仕込んだとしても、作品に対する意識は負のまま。

 そこから観客に正の意識をもってもらうためには、負の状況の打開が必須です。すなわち救済と報復。いじめられっ子が非業の死を遂げて、いじめっこが罰を受けず逃げ切って、それで観客が満足する作品に仕上げるって、どんな脚本家・演出家ならできるんだよって話な訳で。

 何かしらのスタイルで、救済と報復を実行しなければならない。そこでこの作品はどう回答したのかというと、まず救済は「はなからいじめられっ子のひびきが強かった」。

 田代がうちわを握って近づいたのにひびきの頭を小突きもしない。そこにNGラインを引いていじめを描こうとしているのかー、という思いも募ります。そもそもいじめっ子3人が割と弱いというのも相まって、中盤で始まったひびきの反転攻勢が滅茶苦茶強力。ひろゆきかと思うぐらい口が回る。男2人めっちゃ簡単に引き下がる。それで新井に停戦を提案したかと思いきやもう新井に矛先を向ける、ここの手のひら返しもすこぶる早い。

 ここから新井への報復を描写するために、「医者の娘であり、ひびきに成績1位を取られるからバカにされる」という設定が開示されますが、設定開示だけでいじめにより下がった好感度を戻し共感させるのは相当難しいと思います。それくらい、世間のいじめへの拒絶感情は昔に比べて強いはずです。

 自分の現況を鑑み、思慮を尽くした結果、新井は「自分の居場所を守るためにひびきをいじめ続ける」という結論を出します。これは理解できる。新井の背景を理解した上で、彼女が辿り着いた結論なのだろうと観客が納得できるから。で、そのあとに吉村が戻ってきて、ここで作品の核となる重要な話をしていたと思うんです。幽霊の話。ここが、いじめが再開するぞと気が気でなくて話に入っていけませんでした。

 リーダー格の新井がひびきをいじめ続けると宣言して、いじめる宣言されたひびきが教室にいるまま、戻ってきた吉村が新井と仲直りしたら、また2人はいじめ始めるんじゃと思うやん。私が敏感すぎるのでしょうか。

 

 多分この作品、いじめを中心に据えていないんだと思うんですよ。いじめられっ子なのに学校以外にも居場所があるひびきと、いじめっ子なのに居場所を追い込まれている新井との対比がある。さらに幽霊が生きた過去にも、いじめられていた凄惨な日常と気のおけない友達とのひとときがあって、そこであの新井と吉村がしていた幽霊の話が結びつくことによって、最後の幽霊がひびきに放った「ありがとう」の意味も深まってくる。だから伝えたいことはいじめ云々ではなく別にあります。あなたは過剰に反応しすぎですよと。

 ……だと思うんですが、やはり私はどうしても、いじめを描くことが観客にもたらす強烈な暴力性、どれだけ観客の目と耳を塞がせるのかを、客観的に捉えられて欲しいな、と思ってしまうわけです。

 

 

 

11.ショウネントドイサン 暁星高等学校(中央地区)

 小学生男子の心を失っていない私は、めちゃくちゃルイス君とドイサンを戦わせたい。で、多分確実にドイサンが勝つ。

 

  • The Greatest Showいいですよね。山田いい趣味してるじゃないですか。開幕感めっちゃある。
  • 客席側から出てくるという、イーストだからできる特異。そして現れるドイサンという怪異。こういうのが出てくるアニメを絶対見たことがあるんですが、ぼのぼののしまっちゃうおじさんしか出てきませんでした。
  • うんだったりラブレターだったり、小学生みたいなやりとりが続きますが、面白いから笑っちゃうのはしょうがないですよね。笑わせ方を知っている。そしてそんなおもしろパートからうっすらと這い寄ってくる、ただでは終わらない気配。
  • 山田のうだるような「あ〜」が絶叫になるその変貌っぷり、そしてドイサンが「よかったね!」を響かせながら、ショウネンを物理的にも罪悪感からも逃がさないシーンが強烈。でも追加で出てきたドイサンが普通の口調だったのは何故だ……
  • (聞き間違えだったらごめんなさい)実際は女の子の方から山田の方が好きと言われたわけで、山田から抜け駆けしたわけではないから厳密には『こころ』と一緒ではないような……? けど山田が結局抱える罪悪感は似ていて、だから神社に禊に来たんですもんね。
  • 「夢から醒めなきゃいけないなら、醒めない妄想の中でいたい」「何もなくても自分に言い訳できればいいんだよ」、ようやく出てくる山田のまっすぐな言葉が刺さる。観客もこれまでぶつかってきた、これからぶつかるかもしれない言葉。
  • 生きる指針となるくらい確固たるものが夢……? でも実現しなきゃそれも妄想にしかすぎないよな……いや、妄想は必ずしも悪いものではないのかも? と、私も今でも自信のある結論は出ていません。山田に安易な結論を提示しないドイサンは、大人だな。
  • 「飛んだら帰る?」と山田に言って実際に飛ぶのも!?、危険な山から帰すのも、本当に妖怪っぽい。てか飛んだよ。身体のコンディションによっては悲鳴を上げかねませんでしたよ。想像力巧みだ暁星さん。

 

 明転した後の飛翔ドイサンで笑われるのは不本意だったかな。不本意だったなら幕降りて欲しかったですね。それともウケたならOKだったか。この脚本、展開、演技、舞台の使い方、3人で思いつけるというのは、少数精鋭がすぎます。脱帽。

 

 

 

12.LAPS:18 早稲田大学高等学院(城西地区)

 今年最後だ! 気になるタイトル!

 

  • 正人と章吾のかけあいのテンポ◎◎◎。というか、ツッコむたびにどんなネタでも笑いが起こるのすごい。会場大いに巻き込んでました。
  • 正人の話し方が個人的に少し苦手というか、浮いているように感じました。少しはひねりがあるツッコミも欲しい。あと聞いていると、語尾の「だ」「か」「だ」を強く発音することでわざとらしくなっていたのかなと思います。でもツッコミはウケてたんだからOKか。
  • お父さんが序盤で設定をわかりやすく説明してくれたの、ありがたかったです。特にSF系の場合、設定がわからなくなるだけで観客は観るのをやめてしまったりしますから大事。
  • そのお父さんの声良すぎる。
  • 踊り駆け回りながらボックスが設置されるスムーズさがいい。そして章吾が数字を増やすため奮闘するパートのテンポの良さ。章吾の電話の間は直すべきかと思いましたが、多分この劇ではあのスピード感で良き。
  • 正人がLAPSを疑い始めたタイミングで、ちょうど帰宅したタイミングで、タイミングよく改ざんのことを話す部分を聞いて真実を知るというのは、よくある展開感・ご都合主義感は否めないなと思います。その後展開される親子の会話も付随して、話がどんどん道徳的・教育的になってくるので、それが訴えたいことにとって狙い通りなのかどうか。
  • LAPSにとって善良な市民として生きていくはずだった正人が、LAPSの不正を暴き世界を変えるための人生へレールを変える。それは観客と父にとっては成長に見えるけど、側から見れば胡乱な奴、不正をするようなLAPSから自分の肉体は逃れられないし、LAPSにいとも容易く追い詰められるかもしれない。それに、LAPSによって善良な市民として振る舞っていたことは事実。世界を変えられるのはいつの時代だって、奇異の目に晒されても平気な人間ですね。

 

 振り返ってみるとかなり王道だったような気もします。

 パンフレットに書かれている「今皆さんに訴えたいこと」そのものを、実は皆知らないわけじゃない。知っている。でも口に出してこなかった。だからLAPS社会とどこか重なる社会ができあがった。

 演ろうとしたことそのものに、敬意を表します。

 

 

 

 

 

   〜2日目 終演〜

終演後の芸劇。小雨で傘がポツポツと生える広場から、講評を受けるため会場へ向かう学生たちの姿がありました。

 

 感想を書き終えたのち、公式様の結果を確認しました。

tkek.org

 

 

 私が観劇させていただいたものだと、都立町田さんが国立劇場特別出演推薦(11/20訂正)&都立田柄さんが関東大会進出!! おめでとうございます。さらなる飛躍を、さらに面白くなることを願っています。

 審査の結果をもって、「たしかに良かったよね〜」などとは言いません。評価する方にだって好みがあります、人が違えば結果は変わったかもしれませんから。すべてが良い時間だったことだけが事実です。

 大会が終わった学校には新しい演目が、自分たちにしかできない経験がまた待っています。

 

 

 

例年通りの開催、そして3年ぶりの一般観劇受入、本当にありがとうございました。

受付や会場の中でずっと業務に励まれていたたくさんの生徒スタッフの皆さん、お疲れ様でした。

 

 

そして、今発揮できる最高純度の笑いや感動を披露してくれた、すべての学校に感謝を。

 

 

 

云年ぶりに芸劇へ! 〜高校演劇都大会2022感想 1日目〜

 お久しぶりの投稿でございます、さくらばです。

 本来このブログは数少ない友人のみに見せる自己満足コンテンツとして機能していて、今年3月に投稿を終了していたのですが、此度を機に大衆に向けて公開してしまおうと決心しました。(過去の記事はあまり読まないでください)

 

 

なぜなら、

 

 

 

 

高校演劇都大会にやってきたからだ!

 

 

 己の解放と取材を兼ねてやってきました。

 実は私高校時代、東京の高校の演劇部に所属しておりまして、遠い昔に一度だけ、この東京芸術劇場のステージを踏み締めたことがあるのです。今でも懐かしく思い返します。

 その大会の日以来の東京芸術劇場、芸劇です。

シアターの受付前。到着した頃には既に、学生さんが受付業務に勤しんでいました。

 コロナ発生以後、大会開催を継続していただけただけでもありがたい話なのですが、今年2022年、ついに一般観覧も復活したのです。

 東京都高校演劇研究会さんや東京芸術劇場さん等、さまざまな方のご助力あっての成果だと思います。本当にありがとうございます。

 

 さて、私は当時上演後すぐ演目名と学校名でエゴサして、見ず知らずの人の感想を掘り当てて承認欲求を満たしており、今でも年に1回くらい日付指定までして検索して聖地巡礼しているわけですが、

 そんな私のように、見ず知らずの人間のでも、自分の出演した作品の感想を読むのは嬉しい、という方は現代でもいるのではないか。そう思いブログに残しておく次第です。

 まとまったものではないし、結局はただのエゴなので、気に食わない感想があったら吐いて捨ててしまってください。

 

 

 ということで、本日1日目はシアターウエストへ突入! 1日に7本は現役時代でも経験ないぞ!! 身体もってくれ!!!

 

 

 

 

 

〈感想にいく前に〉

 コロナ禍設定が出てきていないのにも関わらずマスク着用の学校が複数ありましたが、他の学校と何か差があったのでしょうか? 

 顔面が半分以上隠れて、競技の側面で考えれば大概ハンデになってしまうわけですから、何か理由がなければマスクは選ばないと思いますが、どうなのでしょう。公正な判断がなされていることを願います。(聞き逃してはないはずですが、該当校もコロナ禍設定だったらごめんなさい)

 

 

 

1.吾をまつ海よ 國學院高等学校(山手城南地区)

 まずはトップバッター! お疲れ様でした。劇場は温まってない、なのに期待されてる……そんなトップバッター、やりきるだけで満点なんですね。

 

 この作品は遊び心や思わぬ仕掛けが散りばめられていて、とても楽しんで観ることができました! 自分じゃ出てこない発想が滅茶苦茶あったように思います。

 

  • 資料室へジャンプ半転で場面転換、照明も息ぴったり。それまでがはけて転換だったのでより新鮮。
  • タイムカプセルに黒布を被せることによって埋めたことを表現、上手から紐で引っ張ってカプセルを露わにする。このアイデア滅茶苦茶すごい。普通照明を外すとか、黒子に運ばせるとかしてなんとか表現しようとしそうなところ、この表現に辿り着けるセンスですよ。ステージの黒さをも有効活用していましたね。校内公演ではどのように表現しているのかも気になります。
  • 活発な男子女子&落ち着いた男子女子、という人物の属性付けがわかりやすく、舞台全体が見やすかったように思います。ただ、例えば花はツンデレという属性が強く人物像が単調ぎみだったり、大地は環のことを大事に思ってるかと思いきやタイムカプセル探しに寝坊したり掘るのをすぐやめたりして、キャラクターの割に言動の芯がブレていたりと、人物の実在性をより高められるポイントがいくつかありそうです。
  • 机がなくて椅子だけだったのは、場面転換をスムーズにするためか、動かすとやたらと音が立つからか……。客席から見て5人は机がないものとして動いていたので、演出の方が彼らの教室についてどのような認識をしているのかが気になりました。
  • 大地母の息子ソロと5人訪問との態度の差が面白い。もっと差があっても良いと思います。キラキラしちゃったりして。
  • 小さいコミュニティの島で、自分ともう1人しかいない同級生の話を知らないことある? と思っていたらやはり知っていました、大地母。だとしたら5人から環父の話題を持ちかけられた瞬間、「あっ……」と察する感じを出すか、普段通りに振る舞うか、どちらかに振ってほしかった。大地母、普段がそこまでテンション上げ↑↑↑ではなかったので、今の訊きかたで勘付かれたかそうでないのかが分かりにくかったように思います。それともそういう演出なのか……
  • デジカメを持ち歩いているということは、時間軸はそこそこ昔なのでしょうか。ならばやはり先述の通り、マスク着用の理由はなんなのだろう……
  • タイムカプセルを埋める際、持ち上げる土の質量を感じたい! 掘る時はとても良かったので!
  • タイトル的に大地母が最後に出てきたりするかなと予想していたら、結果そこそこ早めの退場に。まあ、あくまで主役は5人だしな。

 

 最後に作品の設定について。『吾をまつ海よ』というタイトルには、ストーリー通りの「吾(環父)を待つ海(大地母)よ」、そしてラストシーン、島を発つ彼女たちが出逢う「私たちを待つ海、海のように広大な希望よ」という複数の意味合いも込めてるのかなあ、と考えたり。

 また人物たちの名前、自然豊かな島を構成する〈大地〉・〈花〉・〈空〉、島の一部ではなかったけれど馴染んだ〈詩織〉、彼らと輪を作ることとなる〈環〉……だったりするのかな、とあるやもしれぬ遊び心に思いを馳せたりしました。

 

 

 

2.宮本武蔵 日本大学第二高等学校(城西地区)

 私がクソガキだった頃からバンバン脚本を生み出し、バンバン都大会に駒を進めている宇田川先生と日大二さん。今度の作品も凄かった。「さあ来い!」と臨んで終幕や否や「はっはぁ〜〜〜〜〜〜〜〜」となりました。

 

 序盤の赤ジャージたちの掛け合いから圧倒された、というより、思い出しました。以前見た日大二の舞台を。聞き取れなくても心地良い、この間の詰め方だけで、「ああ日大二ってこんな感じだったな」と想起したのです。そして裏にある稽古量をも想います。

 

  • 道具の量がすごい。そして現れるスモーク。舞台作りに妥協がない、そしてこの情報量の多さは引き出しの多さであり、日大二の強みですね。
  • 赤ジャージ5人の独白から笑いをぽろぽろ獲る会話を繰り広げるなか、ちゃんと観ていたはずなのに、果たして時代がいつなのか、観客は混乱させられます。混乱しました。「20世紀の演劇部」「いや21世紀初頭?」「コロナが出てきた?」とメモに書いてあります。いや、コロナ禍を示す象徴と化したマスクが出てきた時点で現代だと気づくべきだったか……
  • 2022という明確な数字が出てきてようやく仕掛けに気づかされました。「これ多分、制服の子らだけで会話が成立するやつだ」「ということは赤ジャージの子たちは……」と。この時点で既にもう1回はじめから観たくなる。
  • 己が死体を目撃したときの赤ジャージ5人の息遣いがすごい。大仰でないのによく響き渡る。それをたっぷり時間をかけて見せつける。本当にたっぷり。彼女たちの動揺、恐怖、絶望が痛いほど伝わってきました。
  • 「世界がどんなに腐ってても、濃厚に生きてみたかった」、叫び。我々生者は受け止められるか。
  • 朋香(宮本武蔵読んでた人、間違っていたらすみません)が入部した頃の回想を、生者の口パク&身振りと死者の声によって表現していたのが新鮮。確かに現在からシームレスに回想するなら赤ジャージたちに頑張ってもらわない手はないなあと。ただ、回想の後半がどこかでごちゃついたようで、よくわからなかった部分があった気がします。私の理解力の問題かもしれません。
  • 「強くなりたい」、これも今の子たちの叫びだ。強くなりたいと願う世界は、つらいよな。
  • 朋香が発声する中で剣豪となる赤ジャージたち。あのラストの、暗闇の中の一条の光のような切実さ、なのに圧倒的な爽快感、なんなんでしょうね。

 

 おそらくこの作品は、初見で全てを理解させる構造ではないと思うんですよね。特に前半なんかは、あえて理解を追いつかせないようにしている気さえする。前半で取りこぼしたものの正体が後半で掴めて、でも時間は不可逆だから味わえない、味わうために2回目へ、という複数回見て完成する作品。

 それは実に深い作品だと言えるけど、作品のスタイルとしてもろ手をあげて讃頌すべきかは微妙なところだと思っていまして。観客の大半は一度しか見ない舞台というモノ、「よくわからなかった場面」「よくわからなかった時間」「よく理解できなかった自分」というものは観客の中に残り続けるわけですから、そこをいかに圧倒するか、はたまた理解させ鎮めるのか。その匙加減は、ストーリーをつくる人間にとっての永遠の課題になるのでしょう。

 

 

 

3.タイトルコール 都立立川国際中等教育学校(多摩南地区)

 今回ダンスを取り入れる学校結構多かったですよね。踊らなきゃやってられないよねこんな世の中。

 そんなダンスのファーストペンギンが、都立立川国際さんでした。眩しい。瑞々しさにやられそうです。

 

  • 「癖が強い岡田くん」とメモしてあります。男女比率が大いに偏っているとマイノリティは浮きがちですが、岡田くんは個性が発揮されながら、空間に馴染んでいました。和やかな雰囲気◎。
  • ダンスと共に空き教室での生活のダイジェスト。若い……眩しい……。現役の頃に踊る演目1コくらいやれば良かったなあ。
  • そんな楽しげな雰囲気に進路希望調査で翳りが。ここで彼女たちが高校生であることが判明します。中学生なのかな? と勘違いするくらいに幼い。幼すぎない? とは思いました。シリアスなシーンとの精神年齢の差が激しいし。でも後半で子どもを終えるためのジャンプ台としてギャップは欲しいので、難しいところですね。
  • 風紀委員面白い。風紀委員らしいキビキビした動きがさらに笑いを誘います。「座りなさい。……決まってないです」のシーンが午前一番ウケていました。
  • 歳をとるたびにできることは増えるのか、減るのか。本当は増える、大人として増えてほしいと願いますが、彼女たちは減ると考えても当然なんですよね。ネバーランド然としたあの教室が居場所だから。増えると言う風紀委員との考えの違いに静かに打ちのめされていました。言葉を選ばず誤解を恐れずに言えば、人は生まれ育った環境によって、そして知能によって、臨める世界の広さが変わる。ゴールにシュートを打つだけの人生があれば、ゴールがどこにあるかすらわからない人生もある。何かがあれば、彼女は頭を抱えなかった? 何かが違えば、彼女は死んじゃいたいなんて思わなかった? 同じ学舎の中に潜在する格差に、作品の雰囲気に見合わぬ悲哀を見ました。
  • シリアスに転じ会話劇になると、途端にみな口と動きが連動しだしたように思いました。微動だにせず声が出てしまう瞬間、黙っていても動いてしまう瞬間があるはずです。
  • 風紀委員がただの面白要員ではなかったとき、準部活を「羨ましかったから」と言ったとき。良かった。人間味が急に溢れる。すごくほっこりしました。
  • にしてもりこが抜けて5人になった時点で「5人未満になったら廃部ですよ」的なことを一言も伝えないのは少々酷だ……
  • よく言われる電話の演技の追求。ちゃんと相手が話す内容、相手の話を聞く秒数を想定しているか。
  • 最初と最後で構図が重なりましたね。ああいうの自分弱いです。

 

 主人公であるむつみが教室側=子ども側になってしまったため、どう結末を持っていくのか少しハラハラして観ていましたが、ビターな終わり方でした。ある意味大人な終わり方。しかしそれが大人だ、とは安易に言いたくありません。

 

 

 

4.ぼちぼちぼちぼっち 麻布高等学校(中央地区)

 このように後で感想をまとめられるように全ての演目でメモを取っていましたが、麻布さんが一番メモ取れなかった。それだけ舞台に釘付けになりました。いやーすごかった。なんでこんなになったんだ?

 

 

  • そういえば麻布は男子校でした。と、卒業式が始まった瞬間に思い出しました。良いですね。女子役。振り切れている。
  • 序盤のコントがエグい。昼休みを挟んだことで弛んだ会場の空気を一気に麻布のものにした。ミニマリストだから」、好きです。
  • バッと一人に当てたりヒトダマを表現したり、ピンライトが縦横無尽すぎた。たのしい。照明すごい。
  • 大道具。墓は壇上で、墓石は演台で?上が壇上なら下はパイプ椅子スペースだ?パイプ椅子スペースは体育館の墓場だ??? まず発想がすごい。そしてその発想を完全に形にした大道具班の努力も伺えます。「パイプ椅子スペースは体育館の墓場」、額縁に入れて飾っておきたい。
  • 睦美が2人!? の瞬間、観客動揺のあまり思わず声出てました。きっと部員の方々はそれを聞いてしたり顔をしたことでしょう。
  • パラレルワールドものだった。しかし彼らはどうも実在している気がする。劇中で代弁してくれたとおり観ているこっちは訳わかんなくなってるんだけど、突飛な言動掻き混ざる思考、あさっての方向へ向かうその一瞬は、観客も人生のどこかで経験していて、それがいくつものコネクションになっている。
  • 聞き取りづらいところがちょこちょこあった。でも面白かった。だからこそ聞き逃したくなかったなあと思います。しかしこのスピード感だからこそ面白いんだよなあ。
  • 醍醐と長屋のシャウトがめちゃめちゃシャウト。デカいとか強いじゃない、シャウト。でも雑味がなくて心地が良い。
  • 幕を下ろさず礼という飾り気のなさ、純粋さ。最後まで男のバカとパワーに溢れていました。日大二とはまた違う圧倒力。

 

 抽象的になってしまいましたね……。100を理解できたわけじゃない、けど大いに面白かった。

 彼らはきっと100を理解してあの演目を掲げたんですよね。麻布高校ってえらく優秀で名の知れた高校でさ、自分より遥かに優秀かもしれない子どもって大人にとってはすごく怖い存在なんですが、彼らはどうも愛せてしまうなあ。愛すべき天才たち。

 

 

 

5.踊り場からあらりば 都立小松川高等学校(城東地区)

 「あらりば」という言葉を学がないもので存じ上げず、帰路で検索してもそれらしいものが出てこなかったのですが……、

 

 

 もしかして「荒川(Ara River)」ってことですか!?!!??!?

 違ったら私が恥をかくだけです。あとこのブログ名と似ていますね。はい、もう一恥かきました。

 

 

  • パンフレットの学校・作品紹介を読んだときに、なんだか不吉な予感がしたんですよね。「学校がなくなってしまえばいいのに」「代償が伴う」「何も考えずに楽しもう」……これも一種のフラグですよね。乱舞から始まったと思えば崩れ落ちて暗転するし、パンフの隅から劇の隅まで、馴染みのあるテンプレートから忍び寄る予感まで、フラグを使いこなした演目だったな、と振り返って思います。
  • 台風のお知らせをした後の先生の言葉を、騒いであえて聞かせないシーン。多分意味があるんだと思いますが、どこにかかっていたのか、すごく知りたい……
  • 浸水するまで常に舞台を縦横無尽に駆け回る、目を飽きさせない嬉しい工夫。タクミの演舞イカしてました。
  • 自分のセリフでない時間も演技が継続していて◎。彼女たちの生活を感じられました。はけきるまで学生らしい会話が続いていて、入念な舞台。
  • 2度目のダンス、なんで先生も参加しているんですか。誰よりもキレキレじゃないですか。そして手拍子だけでなく拍手まで起こしました。会場の空気司ってましたね。
  • ボックスを放送室に変える楽しい仕掛け。「赤組、頑張ってください。ずるいです。」みたいなアナウンス、めちゃめちゃ面白かったです。彼女は体育祭のアナウンスの経験ありますね。ボックスもかなり小さいのにガンガン人が乗れていて、すごく頑丈に作られている。
  • 先生が言葉を選ばず言えば無能として描かれていて、それであのような結末だったので、もしかすると制作する際に何か参考とした実際の事故があったりするのかなあ、と思ったりしました。そうでないならば、もう少し先生の大人として頼りになる、信頼できる要素を描いても良いのではないかな、と思います。
  • 浸水し、浮かれていられなくなり、仲違いが始まる。集団パニック的な場面も。ここで人物の様相が一変するのはともかく、みな均一の怖がり方をして「恐怖する集団」に転ずるのは果たしてリアルなのか……実際遭遇したら同調し合ってそれこそ集団パニックを起こすのでリアル、なのかも……どうなんでしょう。難しいところですね。
  • ここで、この作品ではBGMSEがダンスと遊び以外でほとんど使われていないことに気づきました。窓開けたときに風の音は入れられたし、不穏な曲を流せるタイミングもあっただろうけど、あえて静寂を選んだ。これを積み重ねてきたことによる終盤の重たい雰囲気作りが見事でした。ああ、ここで時間を使えるんだと。我々の実際の生活は静寂が日常でドンチャン音楽響くのが非日常だけれども、ここで逆転する。「この光景が我々のものになる可能性」が仄見える。高校生らしいハチャメチャを客席で見ていたはずなのに、気づいたら死が肉薄している。彼女たちと同じように。今になってまた恐ろしくなります。
  • 最後のサクラ! なんだ! そこには何が広がってるんだ!!

 

 

 思い出としては「面白かった」のはずなのに、文字に起こすと天から地、否、天から水の転変が凄まじい、リアルに迫る作品でした。恐るべし。

 

 

 

 

6.拝啓、十六の僕らへ。 都立東高等学校(城東地区)

 タイトルで覆い隠されているけれど、コロナはやはり数多くの学校の演目に取り上げられていますね。それだけ馬鹿にならない量の災いと影響をもたらしやがりました。頑張ってるよ。みんな本当に、よく生きてくれました。

 

 

  • 最初の最初、多分本当に演劇部としてちゃっちゃか踊っただけなのが、今になってまた面白くなってきました。
  • メタネタ豊富(ほら全然笑ってくれないじゃん、良いところに来たまるで高校演劇etc)。クドさなく面白かったです。
  • コロナについての独白、得意なことについての独白、瑠璃にのしかかる期待、配信でマスクを外したら手のひら返し等、オムニバス形式?のシーンたちが印象的。ここは登場人物の内面を直球で開示してくれる、親切なシーンでありがたいとともに、自分のイメージの範疇を出ない、自分のではなく彼女たちの内面として扱うには踏み込みがもっと欲しいのかな、とも思いました。自分にも難しいこと言ってるな。ピアノができることへの期待といったらあんな感じになるだろう、マスクを外して手のひら返しといったらこんな反応になるだろう、という観客が想定する大まかなイメージを、より具体的にすることで越えてほしい。具体的を越えて、個人的でも良いんじゃないかと私は思います。観客に全部共感してもらおうとしなくてもいい、どこかしらに重なれば感動できると思うので!
  • 成長過程の演じ分け◎。小学校低学年と高学年(多分)の微妙な差がすごい。
  • 瑠璃「私、何になるんだろう」、瑠璃を悩まし揺り動かす原動力となる、象徴的なセリフですよね。しかしそのあたりで舞台上がだいぶしばらくの間静止していたので、セリフが飛んだのか暗転忘れか、正直事故ったかと思いました。あれはおそらく音楽終わりキッカケだったんですよね。長めに静止するにしても少しずつ照明は落とす等して、「ミスした?」と観客を現実に引き戻すことがないようにしたいよな、と思います。
  • 瑠璃が母親とピアノの先生に叱責されるシーン、流石にフラッシュ長時間が目にきつかったです。(あんなにフラッシュ焚いていいんだ芸劇……
  • 合唱部の5人の演技が、今回観た学校の中で一番、ナチュラルだったと感じました。楽などはアニメキャラ的な属性が強くはありましたが、それでも一番人間として生きている感、実在性があったなあ、と。
  • 終盤の上手でパート合わせ、下手で瑠璃と悠里が会話してるシーン、雰囲気が良くてめちゃめちゃ好きです。あとその歌がすげえうまい。

 

 最後のシーンで主要人物みんなの叫びを聞くことができました。このストレートさは、やはり高校演劇の特権だと思います。瑠璃はこれから。「やっぱ嫌い」の先、60分の先が、演劇部の中で思い描かれていると嬉しいです。

 

 

 

7.オリビアで聴きながら 都立町田高等学校(多摩南地区)

 本日ラスト! 作風が暖かすぎて、終盤は「Eテレじゃん……」って思ってました。多分この表現は違います。面白いとか温かいという感想が先走ったけれど、観ているうちにヤバさが伝わってきた作品。

 

 

  • 「田中さん」「「「はい」」」(どっ)のテンポの良さ。なぜか観客のウケも含めてテンポが良かったです。
  • 人は田中さんで(みな)、でも洋風な雰囲気で、ところが出てくる料理はお袋の味で、しかし店名はオリビア。この心地良いズレ。
  • 時間経過は黒子が掲げるフリップで表現。見飽きもしない黒子もステージ真ん前で見ると新鮮。
  • 常に人物の半分は後方を向く座り方。後ろ向かって演技すると演劇部では怒られがちですよね。でも私は後ろ向きもいいじゃないと思うんですよ、声が届くなら。都立町田さんはセリフを聞き取れないってことが全くありませんでした。結構後ろ向いてたのに。大半お婆ちゃんなのに。お客さんに顔見せますからーってわざわざ扇形になるのも興が削がれるものです。
  • 道具のこだわり。手元で光る老眼鏡、下手の先にあることにしたっていい冷蔵庫、舞台奥の全ては見えないキッチンにも道具が一式。演劇は道具を揃えるのが正義、ではないけれど、この徹底的なこだわりは目を見張りました。
  • 順番に繰り広げられるお婆さんの回想、端役の声を回想外の人が担っていて、口元がマスクでカモフラージュされてるの上手いなーと思いました。マスク超有効活用。というかこの回想、演技の転換若返り、マスクを揺らさないようにとか、滅茶苦茶稽古難しかったろうなあ。
  • 戦争の話をしている瞬間、現代の紀子さんも若返ったようだったのは気のせいでしょうか? 意図的だったらまーじでやんばいと思います。演技のレベルが高すぎる。明日でも鳥肌立てる。

 

 

 最終局面で急なスマホ&三脚登場、何かと思えば田中さんたちTikTokデビュー。そしてバズりV字回復。「そうはならんやろ」な展開ではあるけど、コロナだってそうはならんやろだったんだから、許されるべき展開でしょう。そして全員、愛すべき人々でした。

 

 

 

 

 

  〜1日目 終演〜

 

 芸劇を出ると、無性に腹が空いていました。こんなに空腹の実感があるのも久しぶりです。劇観てただけなのに。でも観劇ってカロリー使うよね。出演した学生の方々は私よりカロリー使ってるのでたくさん美味しいものを食べてください。

 明日はシアターイーストを通しで観させていただきます!! 2日目の学校の学生さんも頑張ってくださいね!

 

 

 

 

 

もう翌朝6時ですけど私大丈夫ですか?

夏の夜の大悪夢 〜小田急線への風評被害〜

 お久しぶりです。さくらばです。

 今朝の悪夢の共有をさせてください。

 

 

 

 中高時代、私は小田急線ヘビーユーザーでして。いつもリーマンに押し潰されながら登校したものでした。

 今回の夢の舞台はその小田急線。とっくに卒業したさくらばは、再びその小田急線の先頭車両に乗っておりました。

 

 ふらふら〜っと降りて、ホームにへたり込んでしまうさくらば。慢性的な睡眠不足は今も昔も夢の中でも同じです。

 低い視点でホームを見回すと……「あれ? やけにホーム小さいな……」

 俺が降りたかったのはたしか……

 そこに響くアナウンス、「代々木八幡〜。代々木八幡〜……。」

 

 そうだ。俺は次の駅、代々木上原で降りたかったんだ。

 急いで乗っていた各駅停車に這い戻りますが、電車の野郎、数分は開けていたろうに俺が乗ろうとした途端ドアを閉めやがる。私は運転主席を睨みつけながらドアにへばりつき、夢特有の謎の力でドアを開けさせます。現実では絶対にやめましょう。

 

 「次は、代々木上原代々木上原〜……。」

 代々木八幡-代々木上原間なんて目と鼻の先。また寝落ちしないようにしなければ、とドア付近の手すりにしがみついていました。緩やかなカーブを曲がり、運転手席越しに代々木上原が見えた、そのとき。

 

 足元からゴトンと嫌な音、大きく傾く車体、近づく地面。

 天下の小田急線は、線路上に置かれた小石によって、脱線したのでした。

 次に目を開くと、私は車両から投げ出され、線路の上をなだらかに飛んでいました。助かったのかと思ったのも束の間、高度が下がり体勢がどんどん腹ばいになり、線路に頭から突っ込んでいく格好に。

 そして顎の向こうには、先ほどまで乗っていた、横転しつつある長い車両の迫り来る気配がありました。

うわ終わった俺の人生終わった痛い痛い痛いバキバキっていく上から小田急線に潰されてグシャってなるバイバイバイバイバイバイバイバイバイバイ

 

 

 

 

 

 

 

 意識は、あった。

 

 意識はあるが、視界が明るむことはなく、頭が上を向いてるのか下を向いてるのか、はたまたちゃんと首についているかもわからない。

 即死、刹那で死ぬとはいえ、その刹那に大激痛を知覚するとは思っていたから、まったくの無痛だったのは正直拍子抜けだ。

 

 だがまああれは、死んだよな。確実に。

 あの高さから線路に頭から突っ込んで、後続の車両が自分ごと地面を薙いでいったんだぞ。生存できるわきゃあない。

 つまりこの闇は、死後の世界だ。

 しだいに肉体の感覚が戻ってきて(死んだが)、自身が横向きに伏せていることがわかった。死んだんならようし、と、あの事故現場の上空映像や、代々木八幡と代々木上原の住民へのインタビュー、葬儀が執り行われている様子など、死者権限で見に行ってやろうと思ったのに、魂が死体に癒着していて動けない。私には死んだあとすぐに成仏せずに、現場やニュース、周囲の人間が私についてどんなことを言って回っているのかを一通り見てやりたい、という願望があるのだが、本当に死んだのにそれは叶わず、生前と同じように空想するしかなかった。闇の中で、ぼんやりとした虚構速報が流れる。葬式はどこで開いてほしいかを決めてなかったし誰にも伝えてなかったから、結局東京で、他の犠牲者と半分合同で開かれ、知り合いは大体参列してくれていた。だがこれも虚構だと思うと、まあ悲しくなってしまうな。

 

 伸びた左手には、スマホが握られていた。ようやく気づいた。あんな事故で無事であるはずないのだが、なぜだか一切画面も割れずに点いている。

 そうか。これは生者の世界にメッセージを遺せるアイテム、みたいなやつか。

 なんだか眠たくなってきた。死んでいるのだ、腕はそりゃあうまく動かない。けれどこんな機会みすみす逃してたまるものか。LINEを開いた。いざ死んだ局面になると、誰に何を送るべきかわからなくなる。「小田急線に気をつけろ」か? 否、事故はもう起こってしまったのだから、書いていなかった遺言か。誰に送ろうか。どうせ最期なら全体メッセージで大々的に送ってやろうか。「まったく いい人生だった」と、これまた虚構の遺言を。

 

 

 

 

 

 固い、灰色。

 

 眠気に勝てなかった死者は、気づくと目が開くようになっていました。

 成仏したか。早いな。未練がないわけないんだけど。……視界が固い灰色の世界が天国である訳ないか。でも地獄の割には暑くないな。

 一体なんだここは……

 

 ここは……

 

 

 駐車場?

 生きてる。俺はまだ生きているぞ!

 今度は全身が痛みます。生きるとは痛く苦しいものです。それでもまだまだ生きるため、痛む身体を奮い起こして立ち上がって、足元を見ると、尾てい骨から血が流れ、駐車場の地面に、まさしく尾のような紅の曲線を描いていたのでした。

 「ああ、流石に重症なのね」

 出血を見て再び倒れ込むとともに、遠くで人の気配がしました。助けを求めなければ。声を張る力はないので、可能な限り上半身をじたばたさせます。

「きゅう、救急車、救急車を呼んでください」

「どうしました、大丈夫ですか」

「あの、小田急線の事故の……」

小田急線の!?!?」

どうやら今は事故が世間に周知された時間軸のようです。私にいち早く気づき駆け寄ってくれた男性は、心底驚き目をかっぴらいていました。「やだー」と気持ち悪がり離れる女もいました。奇跡的に一瞬立てただけ、見た目は電車に潰されただけあって酷いものだったのかもしれません。だんだん人が集まってきて、見せ物になっている時間はとても長く感じましたが、今思うとそうでもなかったのかもしれません。野次馬を退けようやく到着した救急隊に支えられ、救急車に乗るぞ、というところで、

 また意識が途切れました。

 

 

 

 次に目を覚ますと、私は揺れる座席にいました。身体に傷はなく、普段の倦怠感があるだけでした。

「おう、ようやく起きたか」左から覚えのある声がしまして、向くと隣には友人が座っていました。

「お前、自殺しやがって、くそぉと思ってたぜ」

本当に事故だったんだよ? でも申し訳ねえなあ。

 どうやら治療期間の記憶を吹っ飛ばして、退院後の世界線のようでした。

 それにしても、今これはどういう状況だい?

「ああ、今は中央線で荻窪に向かっていまあす」

 

いや電車で大事故に巻き込まれた人間をすぐ電車に乗せるな〜〜〜!!!!!☝️☝️☝️

 

悪夢、完。

 

 

 

 2時前からのレム睡眠で、起きたら4時でした。まだ真っ暗で、日が短くなってきたなあと寂しくなりますね。夢で血の尾っぽを作っていた尾てい骨は、現実でも痛かった。

 

 夢の世界って、現実世界で構成されているという現実。自分が経験したことしか出てこないという事実。それを今になって、冷静に実感します。

 死にそうになる夢を見ることは多いけど、死ぬ瞬間は味わえない。だって死んだ経験がないから。ジェットコースターでの光景や水中の記憶をこねくり回して、落ちていく夢や溺れて沈んでいく夢は見られるけど、死ぬ瞬間の記憶なんてそりゃあないから、そこの夢は作れないで、目を覚ましたりまったく別の夢に移ったりする。だから頭から落下した代々木上原前の線路も、見覚えのある複々線化する前のものでした。担架と救急車に乗せられた経験がある人はそれが夢に出てくるでしょうけど、私にはそれもないので、ちょうど救急車がきたところで夢が切り替わったんですよね。担架の代わりに肩貸されましたからね重傷者だっつってんのに。

 自分の世界を広げることがなければ、夢も一生今の範囲のものしか見られません。あなたも夏の夜の夢のためにも、安寧の世界を少し抜け出してみませんか。ええ強引な宗教勧誘?

 

 

 

 数ヶ月ぶりの超唐突な更新でしたね。こんにちは〜。これからもこういう動悸がすごいイベントがありましたら、不定期で更新していきます。

さらばダベリバ。

 コンテンツを輩出していないと人権がない。

 

 「身長170cmない男は人権がない」と言ったゲーマーが炎上した。「生娘シャブ漬け戦略」と言った取締役が炎上した。燃えたものはその悉くが叩き壊され崩され、過去得たはずの功績も燃え、所属からは切除され、それからは「でもアイツ炎上したし」でお片づけ楽ちんになる。

 言ってはならない言葉が増えていく。

 私が小学生の頃なんて、高学年にもなれば「しね」「ころす」「きえろ」は毎日飛び交っていた。私の学校が荒れていただけか? そんなことはないはずだ。虫は潰すわ口元は汚いわ、何かしでかせばすぐ自己弁護に走るわ、振り返れば子供も大分醜いものだ。でも炎上はしなかった。排除されることはなかった。むしろそういうアグレッシブな言語を振り撒く奴の方が、排除の主導権を握っていた。

 昔はそういう攻撃的な餓鬼が、攻撃的なまま団扇を仰がれ、天寿を全うすることも珍しくなかったかもしれない。今は違う。どこかで逆転する。従えようもない圧倒的な数が、悪に集って許さない。すぐ物議を呼ぶ。すぐ野次馬にまみれる。すぐどちらが悪いかで喧嘩が始まり、悪い方が死ぬまで叩き潰す。

 なんだお前、人聞きの悪い。是正されてきたんだよ世の中。

 暴言を並べても許されていた昔が間違っていたのだ。

 

 暴言を並べても許されていた昔が間違っていたのか?

 続けるのはやめておこう。間違っていたのは間違いない。ただ、是正されてきた今が気持ち良いかという話だ。私は正直もうきつい。

 

 私という人間単体では、社会に受け入れられない。成果物を発表して、それが社会の住人に評価されることによって、はじめて人権が機能する。賞味期限付きの人権が。だから言ったじゃん、コンテンツを輩出していないと人権がないって。自虐で使うと炎上しないのも、それはそれでどうかと思うよ。

 漫談だったりギャグだったり、小説だったりこういうブログだったり、私のコンテンツの主力は言葉だった。この言葉によるコンテンツを断続的に社会に提供することによって、私は自身の人権を延長してきた。だから今の社会が恐ろしい。どこかで「人権」というワードを使うかもしれないんだ。シャブ漬け……は正直使わない自信があるが、「ラリってる」とかだったら口に出るかもしれないんだ。その瞬間を聞き逃さなかった見知らぬ誰かが、「ラリってる、とかいう言葉が思いつくことそのものが気持ち悪い」だとか晒し上げ、急に不特定多数から死を願われ、「人権はどんな人にもあるものです」とか偉い人が口を開いたら、本当に人権が無くなるんだよ私の人生。

 何を馬鹿なことを、と引いただろう。私も自分で書いていて正直、「ちょっと極端すぎないか?」と頭によぎった。でも、書けてしまった。

 こうして二十数年間、言葉のコンテンツによって命を保ってきた人間が、正義が張り巡らされた社会を生きていかなければいけない、しかしひとたびミスれば世界の目がこちらを向いて、死ぬまで殺されなければいけない、何がミスかは曖昧です。

 それが怖い、それだけなんだけど。

 どこから直したらいいんだろうね。

 

 

 

 

 

 昨年までは4月も初旬を過ぎれば、花粉症症状はおさまっていたはずなんですが、今年はもう5月になろうとしてるのにまだ引きません。寝起きは毎朝片鼻が詰まって、喉元では痰が待機している。これはもしや、今年の花粉が酷かったというよりは、私の花粉への抗体が弱まってしまったからではないか。やっぱりアレグラ常用すべきじゃなかったのでは。自然免疫。「花粉は気合いだ」と言うと万人から冷たい目で見られます。

 ちょうど1年前、このブログを立ち上げたんでした。言葉によるコンテンツ。ちょび〜〜〜っとバズることを期待しながら、跳ねることはなく。でもほぼ毎日書いてた7ヶ月、楽しかったですよ。身内以外の方が読者になったりブクマしてくれたりした瞬間は、些細だけども忘れられません。今確認したら、総閲覧数3300オーバーですって! ありがとうございます。

 そんなさくらばのダベリバは、ここで一旦お別れです。2022年に更新した4回は、サービス終了を発表した後のソシャゲみたいな期間でしたね。月末になんとか書けること捻り出して。なぜか毎回災いの記事になって、読んだ友人に心配されるっていうね。書き留めておきたいけど書くと病んでる扱いされるから、困ったものでした。

 

 

 さくらばは日本のどこかで、また言葉のコンテンツとして現れます。そのときをお楽しみに。馬鹿にされようと、死は選ばず、歩んでいこうと思います。

 とはいえ2010年に一旦終わったM-1みたいに、数年後のエヴァンゲリオンのように(無責任なこと言うな❗️)

いつかひょろっと書くかもしれません。そのときはレアだから見てね。

 

 

 

ではまた会う日まで……

 

 

 

 

さようなら、すべてのダベリヴァンゲリオン……。

オッオッオッオッオーオー オッオッオッオッオーオー

三月モ馬鹿

 3月31日、期待が不安を上回っている人って、あんまりいないんじゃなかろうか。

 新しい仕事がやってくる。新しい人間がやってくる。新しい学年の勉強が始まる。クラス替えとかを待ち望んでいる子どもたちはほら、今日も明日も変わらず春休みだろうしね。

 新社会人はいちばん不安よな。さくらば、動けません。

 

 社会人1年目だったそこのあなた、1年間お疲れ様でした。2年目もイケそうですか? それとも新天地があるかしら。

 ちょうど1年前の私といえば、夕方役所に住民票変更に行って、ほかの課の職員たちが輪になって締めてる現場を目撃したりした。今思い出しました。あの日はよく晴れててあっつい西日が役所の細い窓からカッて差してきててさ、「THE END.」って雰囲気むんむんだったのに、翌日には普通に出社だもんな。

 

 社会人になると春休みとか夏休みとか、所謂オフシーズンなんてものはなくて、週のどこかでは働いていなくちゃならない人生が、何十年連綿と続いていく。高校生ぐらいの頃、私は「高校も大学も勉強に縛られて、それが終わって社会人になれば腰が曲がるまで働き続けなきゃいけない!」「人生に休みが欲しい!」とか思っていました。昔の自分よ、そりゃそうだけど違うんだ。何かに属していないと、何かで他人を動かせないと、大人は長い休みがあっても苦しくなるんだ。「大学生活は人生の夏休みだぞ〜?」と散々言う大人が散々絶望して散々死んでいないのは、すり減らした心身に馴染む休み方を体得したからだ。摩耗じゃなくてちゃんと成長と言った方が、希望が持てるだろうか。

 まあともかく、シャバで生きているなら貴方の人生、間違ってはないからさ。孤独になりやすいこのご時世、話せる人間を見つけるのがベストな気がします。

 

 

 

 さて、そんな1ヶ月ぶりにブログに触れて年度末と春の陽気も相まっておセンチになっているさくらばの今月といえば!

花粉とカフェイン中毒で死んでいました。

 

 

 スギ、ヒノキ、ブタクサのS○Xで数百万、数千万の人間が1ヶ月悶えてるのが問題視されてないの、意味わからなくない? 数千万の人間の1年が実質11ヶ月になってるの、意味わからなくない??? 「今日は花粉非常に多く飛びそうです」じゃないよ。受け容れるなよこの量の花粉を。現に肉体の方が受け容れきれてないから花粉症になってんだよ。

 スギ、ヒノキ、ブタクサ、すべての産みの親〜〜〜

 まあ花粉は周知の事実でしょうからこの辺りにしておきましょう。来週あたりには流石に落ち着くはずですし。それよりはカフェイン中毒の方が目を引くはずです。

 

 私さくらば、コーヒー愛飲家なんですね。T-FALで沸かしたお湯にブレンディ溶かしてるだけのコーヒーにそこに愛はあるんかって話ですけど。朝に1杯、午後に1杯、夜に1杯。毎日基本3杯、お菓子があったり寒かったりしたらさらに2杯くらい増えたりしました。カフェイン中毒の存在を知らなかったわけじゃありませんが、ベッドに入れば普通に眠れるし、たまにいるという「カフェインを分解できる体質」なんだろうと誇ってたりしました。

 そういうコーヒー愛飲生活をかれこれ5年くらい続けてきて、今月中旬のある日。コーヒーを全く飲まなかった日ができたんですよ。粉を切らした訳ではなく、依存性を発揮して飲みたくなることもなく、ただただ偶然、口にしなかったんです。そうしたらどうなったか。

 

 翌日、16時間睡眠。

「んくぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜お??ZZ?ZZZZ?????ZZZ」

↑😂

 爆睡したはずなのに、目を開けた瞬間、また猛烈な睡魔が襲ってくる。起きなきゃいけないのに、頭を動かすと痛いし、覚醒しているとひたすら花粉症が発動するから、最も楽になれる睡眠を選択する。結果16時間睡眠。寝て起きては鼻をかみ目薬を差しては眠り、腹は減ったから頑張って起き上がり飯を食い、食べてすぐ寝てはダメだと抗ったけど無駄で昏睡。日頃あんなに寝たがってたのになんも気持ち良くない。

 そこで気づきました。これまでの私の生活は、立派にカフェイン中毒者らしく、ブレンディによって成り立っていたんですね。

 そのまた翌日、ようやく正常に立ち上がれて、パンと共にコーヒー飲んだときの、あの動悸。

 これまで全く出なかったのに。果たしてそれは緊張か、症状か、怖いもの見たさか──。

 

 最近は、1日1杯、多くても2杯を心掛けています。

 

 

 

 

 

 普通の生活を取り戻せ!

 「普通って何!?」とかいう実はありふれた悩み!!

 【告知】さくらばのダベリバは法人化します!!!

 YEAHVVVVV April Fooooooool!!!!

 新年度に行くぞ!!!!!

如月とかいう厨二月

 はい2月終わるの早い〜。俺は長男だから耐えられたけど次男だったら耐えられなかった。多分他の月のように30日あったとしても短かっただろう。

 

 

 睦月が終わらんとしたと思ったら如月が終わらんとしています。Foo。お久しぶりでございます。ちょうど思い出した、1月の末日は家のオートロックがぶっ壊れ締め出されて冬の朝の下凍えていたんだ。

 あの後どうしたのか、そういえば1ヶ月経っても話していませんでしたね。

 

 睦月終わらんとをiPhoneアプリからブルブル震えながらフリック入力で更新した後、ピンポンしました。卓球ではありません。ピンポンして、同居人を呼び起こそうとしました。けれども反応はありません。それもそのはず、午前7〜8時は同居人が一番起きていない時間帯なんだ。昼夜逆転ゥ〜。

 ただ待ってても入れないことが確定したので、私は血迷いました。エントランスからマンションの裏庭に回って、ギリギリいけそうな高さだったもんで外壁に露出した水道管をさも登り棒のように登っていこうと決意したのです。消毒液で乾いた掌に呼気を纏わせ、靴紐を結び直したその時……

 1階の住人とベランダ越しに対面してしまったので、渋々諦めました。

 というわけで結局どうしたかというと、私の部屋の窓から入りました。幸いにも私の部屋、窓のロックをかけていなかったので、セブンに行ってドライバーセットを買って、障害となっていた窓の格子のネジを外して、靴脱いでよっこらせっつってね。風体もろ空き巣。退勤から2時間経ってました。夜勤明けにやることじゃねえって。

 まあ喉元過ぎた今となっては笑い話です。

 

 

 

 一番短い2月といえど、振り返れば1月よりだいぶ濃かった。

 数年ぶりにサイゼリヤに行った。青豆の温サラダが案外うまいんだとみんなして言うから、食べてみたら確かにうまかった。でもアラビアータのがうまかったな。おめえそれはヨォ、羽生結弦より室伏広治の方が強いみたいなもんだロォ!?

 髪型を人生で2回目かくらいに変えてみた。店員さんが2言目にはタメ語だったけど、若く見られてたってことにしておこう。

 SNSに触発されてレジェンズアルセウスを買った。作業ゲーという低評価があって不安だったけど普通に面白い。眠らずにやってられるので睡眠リズムの調整に役立っている。

 母校に帰り演劇を観た。若いというありきたりな文言を封じられるとするならば、コロナ禍にやられながらも少年少女が舞台をつくる、自分もいたその時空間が輝かしかった。

 初めて周囲の人間がコロナに感染した。3年目の付き合いにしてようやく、輪郭がはっきりしたような覚えがある。LINEで報告できる体力はあったようだけど普通に辛そうで、そりゃあなりたかないよな、と再認識。

 K君の代わりに女子大生が入ったり、友人が仕事の忙しさと女のことしか喋らなくなったり、何かを埋めるように小説を読んだり買ったり、自宅に業務用食洗機が導入されたり。あんなに欲しがっていたはずの人付き合いを煩わしく感じてしまったり。

 そして何より、外国の戦争でこんなに動揺するとは思ってなかったな。

 

 

 

 備忘録的になってしまいました。時間があったらまた深掘りしましょう。

 

 おいおい、寒さを置いていくな。花粉もいらないから持ってってくれ。

 ようやく傍に春が座る。

睦月終わらんとする

 12月31日からはや1ヶ月。まだまだ寒いですね。皆さんいかがお過ごしですか。

 私は今家を締め出されております。

 

 

 

 寒すぎ。

 いや、別に同居人に勘当されたとかいうわけじゃないんですよ。ないはずです。あれ、そうだよね? 大丈夫だよね?

 原因は今の我が家の施錠方法にありまして。

 

 我が家の鍵は全然オートロックでもなんでもない、なんの変哲もないマニュアルロックなんですが、現在は同居人の手によってオートロック化されているんです。

 とはいっても改造手術したんじゃないよ。ショッカーと同居してるんじゃないんだ。工作の範疇です。内鍵に覆い被せるような装置で、なんでもソイツがBluetoothで接続できて、スマホ操作で開けられるようになっているんですわ。すごいよな今の世の中。で、ドア閉めた後は自動で回転して施錠してくれると。すっげえ゛。(ルフィ)

 

 そうしてオートロックになったからさ。はじめは不安で元々の鍵持ち歩いてたけど、同居人が「もう鍵を持つ必要はありませぇん」って言ってたしさ、持たなくなっていたんですよ。だってスマホが鍵になるんだから。

 

 それで今朝も、夜勤を終えて、寒空の下自転車を走らせ帰ってきて。

 

 

……

 

 思い出してほしいのは、改造手術じゃない、あくまで工作ということなんですよ。

 そのBluetoothで回転して内鍵を開けてくれる装置、ドアに両面テープでくっついているんですね。ほら、ネジ留めするわけにいかないからさ。

 だから使っていくうちに、しだいに粘着が弱くなっていくんですよ。昨晩夜勤に出るときも剥がれかかってたもんだから、押し込んで貼り付けなおしてきたくらいなんだ。

 

 

 

 さみいよおおおん7時の東京〜〜〜〜〜。

 ドア一枚挟んで、装置が「ウィーーーン」つって回ってる音はするのに、いっこうに開きません。装置が錠を回せていない、心と身体が伴ってないってやつだ。寒いです。俺の指ってこんなにひび割れてたっけ???

 ピンポンして同居人起こして、開けてもらってもいいんだけどさ、なんかなあって思って。で、昨年末ストックしたダベリバ(なんだストックしたダベリバって)、全然書いてなかったなあと思って。

 2つの思いから、スマホから更新した次第です。

 

 

 もう2022年12分の1終わるよ。ひぇ〜〜〜。2月も頑張ろうな。