さらばダベリバ。
コンテンツを輩出していないと人権がない。
「身長170cmない男は人権がない」と言ったゲーマーが炎上した。「生娘シャブ漬け戦略」と言った取締役が炎上した。燃えたものはその悉くが叩き壊され崩され、過去得たはずの功績も燃え、所属からは切除され、それからは「でもアイツ炎上したし」でお片づけ楽ちんになる。
言ってはならない言葉が増えていく。
私が小学生の頃なんて、高学年にもなれば「しね」「ころす」「きえろ」は毎日飛び交っていた。私の学校が荒れていただけか? そんなことはないはずだ。虫は潰すわ口元は汚いわ、何かしでかせばすぐ自己弁護に走るわ、振り返れば子供も大分醜いものだ。でも炎上はしなかった。排除されることはなかった。むしろそういうアグレッシブな言語を振り撒く奴の方が、排除の主導権を握っていた。
昔はそういう攻撃的な餓鬼が、攻撃的なまま団扇を仰がれ、天寿を全うすることも珍しくなかったかもしれない。今は違う。どこかで逆転する。従えようもない圧倒的な数が、悪に集って許さない。すぐ物議を呼ぶ。すぐ野次馬にまみれる。すぐどちらが悪いかで喧嘩が始まり、悪い方が死ぬまで叩き潰す。
なんだお前、人聞きの悪い。是正されてきたんだよ世の中。
暴言を並べても許されていた昔が間違っていたのだ。
暴言を並べても許されていた昔が間違っていたのか?
続けるのはやめておこう。間違っていたのは間違いない。ただ、是正されてきた今が気持ち良いかという話だ。私は正直もうきつい。
私という人間単体では、社会に受け入れられない。成果物を発表して、それが社会の住人に評価されることによって、はじめて人権が機能する。賞味期限付きの人権が。だから言ったじゃん、コンテンツを輩出していないと人権がないって。自虐で使うと炎上しないのも、それはそれでどうかと思うよ。
漫談だったりギャグだったり、小説だったりこういうブログだったり、私のコンテンツの主力は言葉だった。この言葉によるコンテンツを断続的に社会に提供することによって、私は自身の人権を延長してきた。だから今の社会が恐ろしい。どこかで「人権」というワードを使うかもしれないんだ。シャブ漬け……は正直使わない自信があるが、「ラリってる」とかだったら口に出るかもしれないんだ。その瞬間を聞き逃さなかった見知らぬ誰かが、「ラリってる、とかいう言葉が思いつくことそのものが気持ち悪い」だとか晒し上げ、急に不特定多数から死を願われ、「人権はどんな人にもあるものです」とか偉い人が口を開いたら、本当に人権が無くなるんだよ私の人生。
何を馬鹿なことを、と引いただろう。私も自分で書いていて正直、「ちょっと極端すぎないか?」と頭によぎった。でも、書けてしまった。
こうして二十数年間、言葉のコンテンツによって命を保ってきた人間が、正義が張り巡らされた社会を生きていかなければいけない、しかしひとたびミスれば世界の目がこちらを向いて、死ぬまで殺されなければいけない、何がミスかは曖昧です。
それが怖い、それだけなんだけど。
どこから直したらいいんだろうね。
昨年までは4月も初旬を過ぎれば、花粉症症状はおさまっていたはずなんですが、今年はもう5月になろうとしてるのにまだ引きません。寝起きは毎朝片鼻が詰まって、喉元では痰が待機している。これはもしや、今年の花粉が酷かったというよりは、私の花粉への抗体が弱まってしまったからではないか。やっぱりアレグラ常用すべきじゃなかったのでは。自然免疫。「花粉は気合いだ」と言うと万人から冷たい目で見られます。
ちょうど1年前、このブログを立ち上げたんでした。言葉によるコンテンツ。ちょび〜〜〜っとバズることを期待しながら、跳ねることはなく。でもほぼ毎日書いてた7ヶ月、楽しかったですよ。身内以外の方が読者になったりブクマしてくれたりした瞬間は、些細だけども忘れられません。今確認したら、総閲覧数3300オーバーですって! ありがとうございます。
そんなさくらばのダベリバは、ここで一旦お別れです。2022年に更新した4回は、サービス終了を発表した後のソシャゲみたいな期間でしたね。月末になんとか書けること捻り出して。なぜか毎回災いの記事になって、読んだ友人に心配されるっていうね。書き留めておきたいけど書くと病んでる扱いされるから、困ったものでした。
さくらばは日本のどこかで、また言葉のコンテンツとして現れます。そのときをお楽しみに。馬鹿にされようと、死は選ばず、歩んでいこうと思います。
とはいえ2010年に一旦終わったM-1みたいに、数年後のエヴァンゲリオンのように(無責任なこと言うな❗️)
いつかひょろっと書くかもしれません。そのときはレアだから見てね。
ではまた会う日まで……
さようなら、すべてのダベリヴァンゲリオン……。
オッオッオッオッオーオー オッオッオッオッオーオー