さくらばのダベリバ

頑張って生きてます。ダベるだけで読者増を目指す、チャレンジブログです。

云年ぶりに芸劇へ! 〜高校演劇都大会2022感想 2日目〜

 言葉を選びながら書いていた結果1日目の感想だけで翌朝6時になってしまった。素早く的確な講評ができる講師の方々の凄さを実感します。

 なんとか仮眠の時間をとって、再び池袋へ!

 

(↓1日目の感想はこちらです↓)

sakuraba-no-daberiba.hatenablog.com

 

 寝不足だったので帰宅後すぐに寝てしまい、日付が変わってから打ち込み始めています。もう既に表彰が終わり、関東大会進出校が決まったのだとは思いますが、感想にバイアスがかかってしまいそうなので書き終わるまで結果は見ないでおきます!

 

 2日目はシアターイーストで5校! 異なるシアターを体感したいのと、できるだけ多く生徒創作が観たいがためにこのように選ばせていただきました。イーストは緞帳がないこと、ステージが低いこと、箱全体が真っ黒で、壁や客席も演出として使えることが大きな特徴です。

 そんなイーストにしかない特権を使いこなす学校がたくさん登場しました!

 

 

 

 

 

8.銀河鉄道の夜が明ける 早稲田実業高等学校(多摩南地区)

 この2日で見た作品たちの中で、唯一創作を示す○がついていなかった演目、かと思いきや、6年前に創られた脚本を新しく仕立てたということで、実質創作や!

 創作が正義と断じるわけではないけれど、今を生きる彼らの意志が映し出されたものを見たかったので……!

 

  • 美しかった。月並みな感想すぎるな。でも本当に美しかったんですよ。先輩がやっていたというだけで、今舞台に立つ彼女たちに連続性とか生まれ変わりだとかはないのに、彼女たちが秘めている宝物を覗いたかのような感覚がある。しっかりと自分たちのものにしたのだなあ、と。
  • 物理的な美しさで忘れられないのはやはり、照明によって視界一面に広がる星々。イーストで観れてよかった、演れてよかったと一番感じます。イーストはステージが低く、最前列以外は観客席から舞台上を俯瞰する構図になるため、舞台上から振り撒く力がウエストに比べて出しづらい、それこそ銀河感(?)を後ろまで届けるには努力と工夫が必要だと思うのですが、この照明によって四方を星空で包んでくるの、忘れられないなあ。とてつもなく効果的でした。
  • 少女の漂わせる儚さと、履歴書を書く青年の発狂っぷりがすごい。両者とも別ベクトルの存在感を放っていて、よく覚えています。
  • ケンタウルス座のお祭り、星の玉が規則的な回転をしていて、少し現実に引き戻される。ライトを付けた棒が直線で、人工物っぽさが残っていたのかもしれません。
  • 作品自体が虚構的なので、この現実、今を生きる役者の思いと、どう交わらせていくのか。今の自分たちの思いを反映させるとはいえ、もちろん劇中にコロナの前提はないし、時代背景は6年前よりも離れている。でもいつの時代だとしても、少年少女の抱える生きづらさというのは確かに存在していて、それは高校演劇の原動力の主と言える……。(全くまとまらないですが整理のために書き残します)
  • なぜ今この作品を選んだのか、役と自己との結び付けに、役者一人ひとりがどのような結論を出したのか、知りたくなります。実際の稽古の様子も見てみたくなりました。

 

 

 

9.たがらダカラ 都立田柄高等学校(城西地区)

 まーじで面白かった。あの瞬間、観客とシアターイーストは、全部君たちのものでした。

 

  • ルイス君の走りのフォームやばくない? というかルイス君挙動全部やばくない? 最初に書いておきたかった。多分何かが1本多い。
  • コロナ禍設定のある演劇部、現実に限りなく似た舞台。部員も多くない、道具も10段階中1くらいしかない。シアターイーストだだっ広い。さてどうする!? ……そんな心配は無用でした。何もないステージ走り回るの、楽しかっただろうな。
  • パンフレット見過ごしていたけれど、ネパリさん本当にネパールから来た演劇部員なんですね。衝撃だった。外国人の喋り方で笑うことはいずれ世間に糾されるのだろうという不安も湧きますが、気兼ねなく笑っていいネタにも溢れていました。
  • まさかこの令和の世に電車ごっこを見ることになるとは。
  • ネパリさんが異質だと思わせといて、日本人3人の方がよっぽどクレイジーというね。全員心の底から「要るキャラ」なのが良い。少人数の演劇部だと脇役設けてる余裕なんてないんですよね。故に濃くなる。多人数では絶対出せない濃度。
  • 演劇部解散の危機に、ご都合主義でIQを上げたりすることなく、どうしようもなくアホであるまま、あるがまま直向きに解決に臨む愛らしさ。みんな直向きだから遺恨なく解決できる。なんでこんな愛らしいんだ? たがらダカラですか?
  • ネパリさんのダンスのキレすごい。見てて気持ちがいいですね。

 

 「田柄だから」が口をつく彼女たち。そのフレーズは覆しようのない置かれた環境への諦念であるとともに、実は心のどこかでは支えになっている。というのが……いいな。画面に向き合う今になって沁みてきます。よくぞ都大会にやってきてくれました。日本中に偏在する小さい演劇部たちの光になりますね。

 大会の最後に様々な賞が用意されていると思いますが、ルイス君のために消費カロリー賞を作ってあげてください。

 

 

 

10.フヅキココノカ。 東京学芸大学附属高等学校(山手城南地区)

 読み取れなかったー……。

 すげえ悔しい。いじめを取り扱う作品に慣れてないってことなのかなあ。

 

 いじめとか暴力とか殺害とか、そういう暴力的なシーンが入ると、観客は警戒態勢に入るわけですよ。観客と役が初めて相対して、本来であれば、速度に差はあれど役一つひとつへの理解度と好感度を上げていく作業が始まるところを、いきなり好感度マイナスに突き落とされるわけですから。

 この作品もそこから始まりました。上手の3人が底から。いじめものに耐性がない私はやはり最初から「あーいじめ系ねー」となったわけです。しかもしっかり観客も不快になるいじめ。どんなに笑わそうとネタを仕込んだとしても、作品に対する意識は負のまま。

 そこから観客に正の意識をもってもらうためには、負の状況の打開が必須です。すなわち救済と報復。いじめられっ子が非業の死を遂げて、いじめっこが罰を受けず逃げ切って、それで観客が満足する作品に仕上げるって、どんな脚本家・演出家ならできるんだよって話な訳で。

 何かしらのスタイルで、救済と報復を実行しなければならない。そこでこの作品はどう回答したのかというと、まず救済は「はなからいじめられっ子のひびきが強かった」。

 田代がうちわを握って近づいたのにひびきの頭を小突きもしない。そこにNGラインを引いていじめを描こうとしているのかー、という思いも募ります。そもそもいじめっ子3人が割と弱いというのも相まって、中盤で始まったひびきの反転攻勢が滅茶苦茶強力。ひろゆきかと思うぐらい口が回る。男2人めっちゃ簡単に引き下がる。それで新井に停戦を提案したかと思いきやもう新井に矛先を向ける、ここの手のひら返しもすこぶる早い。

 ここから新井への報復を描写するために、「医者の娘であり、ひびきに成績1位を取られるからバカにされる」という設定が開示されますが、設定開示だけでいじめにより下がった好感度を戻し共感させるのは相当難しいと思います。それくらい、世間のいじめへの拒絶感情は昔に比べて強いはずです。

 自分の現況を鑑み、思慮を尽くした結果、新井は「自分の居場所を守るためにひびきをいじめ続ける」という結論を出します。これは理解できる。新井の背景を理解した上で、彼女が辿り着いた結論なのだろうと観客が納得できるから。で、そのあとに吉村が戻ってきて、ここで作品の核となる重要な話をしていたと思うんです。幽霊の話。ここが、いじめが再開するぞと気が気でなくて話に入っていけませんでした。

 リーダー格の新井がひびきをいじめ続けると宣言して、いじめる宣言されたひびきが教室にいるまま、戻ってきた吉村が新井と仲直りしたら、また2人はいじめ始めるんじゃと思うやん。私が敏感すぎるのでしょうか。

 

 多分この作品、いじめを中心に据えていないんだと思うんですよ。いじめられっ子なのに学校以外にも居場所があるひびきと、いじめっ子なのに居場所を追い込まれている新井との対比がある。さらに幽霊が生きた過去にも、いじめられていた凄惨な日常と気のおけない友達とのひとときがあって、そこであの新井と吉村がしていた幽霊の話が結びつくことによって、最後の幽霊がひびきに放った「ありがとう」の意味も深まってくる。だから伝えたいことはいじめ云々ではなく別にあります。あなたは過剰に反応しすぎですよと。

 ……だと思うんですが、やはり私はどうしても、いじめを描くことが観客にもたらす強烈な暴力性、どれだけ観客の目と耳を塞がせるのかを、客観的に捉えられて欲しいな、と思ってしまうわけです。

 

 

 

11.ショウネントドイサン 暁星高等学校(中央地区)

 小学生男子の心を失っていない私は、めちゃくちゃルイス君とドイサンを戦わせたい。で、多分確実にドイサンが勝つ。

 

  • The Greatest Showいいですよね。山田いい趣味してるじゃないですか。開幕感めっちゃある。
  • 客席側から出てくるという、イーストだからできる特異。そして現れるドイサンという怪異。こういうのが出てくるアニメを絶対見たことがあるんですが、ぼのぼののしまっちゃうおじさんしか出てきませんでした。
  • うんだったりラブレターだったり、小学生みたいなやりとりが続きますが、面白いから笑っちゃうのはしょうがないですよね。笑わせ方を知っている。そしてそんなおもしろパートからうっすらと這い寄ってくる、ただでは終わらない気配。
  • 山田のうだるような「あ〜」が絶叫になるその変貌っぷり、そしてドイサンが「よかったね!」を響かせながら、ショウネンを物理的にも罪悪感からも逃がさないシーンが強烈。でも追加で出てきたドイサンが普通の口調だったのは何故だ……
  • (聞き間違えだったらごめんなさい)実際は女の子の方から山田の方が好きと言われたわけで、山田から抜け駆けしたわけではないから厳密には『こころ』と一緒ではないような……? けど山田が結局抱える罪悪感は似ていて、だから神社に禊に来たんですもんね。
  • 「夢から醒めなきゃいけないなら、醒めない妄想の中でいたい」「何もなくても自分に言い訳できればいいんだよ」、ようやく出てくる山田のまっすぐな言葉が刺さる。観客もこれまでぶつかってきた、これからぶつかるかもしれない言葉。
  • 生きる指針となるくらい確固たるものが夢……? でも実現しなきゃそれも妄想にしかすぎないよな……いや、妄想は必ずしも悪いものではないのかも? と、私も今でも自信のある結論は出ていません。山田に安易な結論を提示しないドイサンは、大人だな。
  • 「飛んだら帰る?」と山田に言って実際に飛ぶのも!?、危険な山から帰すのも、本当に妖怪っぽい。てか飛んだよ。身体のコンディションによっては悲鳴を上げかねませんでしたよ。想像力巧みだ暁星さん。

 

 明転した後の飛翔ドイサンで笑われるのは不本意だったかな。不本意だったなら幕降りて欲しかったですね。それともウケたならOKだったか。この脚本、展開、演技、舞台の使い方、3人で思いつけるというのは、少数精鋭がすぎます。脱帽。

 

 

 

12.LAPS:18 早稲田大学高等学院(城西地区)

 今年最後だ! 気になるタイトル!

 

  • 正人と章吾のかけあいのテンポ◎◎◎。というか、ツッコむたびにどんなネタでも笑いが起こるのすごい。会場大いに巻き込んでました。
  • 正人の話し方が個人的に少し苦手というか、浮いているように感じました。少しはひねりがあるツッコミも欲しい。あと聞いていると、語尾の「だ」「か」「だ」を強く発音することでわざとらしくなっていたのかなと思います。でもツッコミはウケてたんだからOKか。
  • お父さんが序盤で設定をわかりやすく説明してくれたの、ありがたかったです。特にSF系の場合、設定がわからなくなるだけで観客は観るのをやめてしまったりしますから大事。
  • そのお父さんの声良すぎる。
  • 踊り駆け回りながらボックスが設置されるスムーズさがいい。そして章吾が数字を増やすため奮闘するパートのテンポの良さ。章吾の電話の間は直すべきかと思いましたが、多分この劇ではあのスピード感で良き。
  • 正人がLAPSを疑い始めたタイミングで、ちょうど帰宅したタイミングで、タイミングよく改ざんのことを話す部分を聞いて真実を知るというのは、よくある展開感・ご都合主義感は否めないなと思います。その後展開される親子の会話も付随して、話がどんどん道徳的・教育的になってくるので、それが訴えたいことにとって狙い通りなのかどうか。
  • LAPSにとって善良な市民として生きていくはずだった正人が、LAPSの不正を暴き世界を変えるための人生へレールを変える。それは観客と父にとっては成長に見えるけど、側から見れば胡乱な奴、不正をするようなLAPSから自分の肉体は逃れられないし、LAPSにいとも容易く追い詰められるかもしれない。それに、LAPSによって善良な市民として振る舞っていたことは事実。世界を変えられるのはいつの時代だって、奇異の目に晒されても平気な人間ですね。

 

 振り返ってみるとかなり王道だったような気もします。

 パンフレットに書かれている「今皆さんに訴えたいこと」そのものを、実は皆知らないわけじゃない。知っている。でも口に出してこなかった。だからLAPS社会とどこか重なる社会ができあがった。

 演ろうとしたことそのものに、敬意を表します。

 

 

 

 

 

   〜2日目 終演〜

終演後の芸劇。小雨で傘がポツポツと生える広場から、講評を受けるため会場へ向かう学生たちの姿がありました。

 

 感想を書き終えたのち、公式様の結果を確認しました。

tkek.org

 

 

 私が観劇させていただいたものだと、都立町田さんが国立劇場特別出演推薦(11/20訂正)&都立田柄さんが関東大会進出!! おめでとうございます。さらなる飛躍を、さらに面白くなることを願っています。

 審査の結果をもって、「たしかに良かったよね〜」などとは言いません。評価する方にだって好みがあります、人が違えば結果は変わったかもしれませんから。すべてが良い時間だったことだけが事実です。

 大会が終わった学校には新しい演目が、自分たちにしかできない経験がまた待っています。

 

 

 

例年通りの開催、そして3年ぶりの一般観劇受入、本当にありがとうございました。

受付や会場の中でずっと業務に励まれていたたくさんの生徒スタッフの皆さん、お疲れ様でした。

 

 

そして、今発揮できる最高純度の笑いや感動を披露してくれた、すべての学校に感謝を。