さくらばのダベリバ

頑張って生きてます。ダベるだけで読者増を目指す、チャレンジブログです。

云年ぶりに芸劇へ! 〜高校演劇都大会2022感想 1日目〜

 お久しぶりの投稿でございます、さくらばです。

 本来このブログは数少ない友人のみに見せる自己満足コンテンツとして機能していて、今年3月に投稿を終了していたのですが、此度を機に大衆に向けて公開してしまおうと決心しました。(過去の記事はあまり読まないでください)

 

 

なぜなら、

 

 

 

 

高校演劇都大会にやってきたからだ!

 

 

 己の解放と取材を兼ねてやってきました。

 実は私高校時代、東京の高校の演劇部に所属しておりまして、遠い昔に一度だけ、この東京芸術劇場のステージを踏み締めたことがあるのです。今でも懐かしく思い返します。

 その大会の日以来の東京芸術劇場、芸劇です。

シアターの受付前。到着した頃には既に、学生さんが受付業務に勤しんでいました。

 コロナ発生以後、大会開催を継続していただけただけでもありがたい話なのですが、今年2022年、ついに一般観覧も復活したのです。

 東京都高校演劇研究会さんや東京芸術劇場さん等、さまざまな方のご助力あっての成果だと思います。本当にありがとうございます。

 

 さて、私は当時上演後すぐ演目名と学校名でエゴサして、見ず知らずの人の感想を掘り当てて承認欲求を満たしており、今でも年に1回くらい日付指定までして検索して聖地巡礼しているわけですが、

 そんな私のように、見ず知らずの人間のでも、自分の出演した作品の感想を読むのは嬉しい、という方は現代でもいるのではないか。そう思いブログに残しておく次第です。

 まとまったものではないし、結局はただのエゴなので、気に食わない感想があったら吐いて捨ててしまってください。

 

 

 ということで、本日1日目はシアターウエストへ突入! 1日に7本は現役時代でも経験ないぞ!! 身体もってくれ!!!

 

 

 

 

 

〈感想にいく前に〉

 コロナ禍設定が出てきていないのにも関わらずマスク着用の学校が複数ありましたが、他の学校と何か差があったのでしょうか? 

 顔面が半分以上隠れて、競技の側面で考えれば大概ハンデになってしまうわけですから、何か理由がなければマスクは選ばないと思いますが、どうなのでしょう。公正な判断がなされていることを願います。(聞き逃してはないはずですが、該当校もコロナ禍設定だったらごめんなさい)

 

 

 

1.吾をまつ海よ 國學院高等学校(山手城南地区)

 まずはトップバッター! お疲れ様でした。劇場は温まってない、なのに期待されてる……そんなトップバッター、やりきるだけで満点なんですね。

 

 この作品は遊び心や思わぬ仕掛けが散りばめられていて、とても楽しんで観ることができました! 自分じゃ出てこない発想が滅茶苦茶あったように思います。

 

  • 資料室へジャンプ半転で場面転換、照明も息ぴったり。それまでがはけて転換だったのでより新鮮。
  • タイムカプセルに黒布を被せることによって埋めたことを表現、上手から紐で引っ張ってカプセルを露わにする。このアイデア滅茶苦茶すごい。普通照明を外すとか、黒子に運ばせるとかしてなんとか表現しようとしそうなところ、この表現に辿り着けるセンスですよ。ステージの黒さをも有効活用していましたね。校内公演ではどのように表現しているのかも気になります。
  • 活発な男子女子&落ち着いた男子女子、という人物の属性付けがわかりやすく、舞台全体が見やすかったように思います。ただ、例えば花はツンデレという属性が強く人物像が単調ぎみだったり、大地は環のことを大事に思ってるかと思いきやタイムカプセル探しに寝坊したり掘るのをすぐやめたりして、キャラクターの割に言動の芯がブレていたりと、人物の実在性をより高められるポイントがいくつかありそうです。
  • 机がなくて椅子だけだったのは、場面転換をスムーズにするためか、動かすとやたらと音が立つからか……。客席から見て5人は机がないものとして動いていたので、演出の方が彼らの教室についてどのような認識をしているのかが気になりました。
  • 大地母の息子ソロと5人訪問との態度の差が面白い。もっと差があっても良いと思います。キラキラしちゃったりして。
  • 小さいコミュニティの島で、自分ともう1人しかいない同級生の話を知らないことある? と思っていたらやはり知っていました、大地母。だとしたら5人から環父の話題を持ちかけられた瞬間、「あっ……」と察する感じを出すか、普段通りに振る舞うか、どちらかに振ってほしかった。大地母、普段がそこまでテンション上げ↑↑↑ではなかったので、今の訊きかたで勘付かれたかそうでないのかが分かりにくかったように思います。それともそういう演出なのか……
  • デジカメを持ち歩いているということは、時間軸はそこそこ昔なのでしょうか。ならばやはり先述の通り、マスク着用の理由はなんなのだろう……
  • タイムカプセルを埋める際、持ち上げる土の質量を感じたい! 掘る時はとても良かったので!
  • タイトル的に大地母が最後に出てきたりするかなと予想していたら、結果そこそこ早めの退場に。まあ、あくまで主役は5人だしな。

 

 最後に作品の設定について。『吾をまつ海よ』というタイトルには、ストーリー通りの「吾(環父)を待つ海(大地母)よ」、そしてラストシーン、島を発つ彼女たちが出逢う「私たちを待つ海、海のように広大な希望よ」という複数の意味合いも込めてるのかなあ、と考えたり。

 また人物たちの名前、自然豊かな島を構成する〈大地〉・〈花〉・〈空〉、島の一部ではなかったけれど馴染んだ〈詩織〉、彼らと輪を作ることとなる〈環〉……だったりするのかな、とあるやもしれぬ遊び心に思いを馳せたりしました。

 

 

 

2.宮本武蔵 日本大学第二高等学校(城西地区)

 私がクソガキだった頃からバンバン脚本を生み出し、バンバン都大会に駒を進めている宇田川先生と日大二さん。今度の作品も凄かった。「さあ来い!」と臨んで終幕や否や「はっはぁ〜〜〜〜〜〜〜〜」となりました。

 

 序盤の赤ジャージたちの掛け合いから圧倒された、というより、思い出しました。以前見た日大二の舞台を。聞き取れなくても心地良い、この間の詰め方だけで、「ああ日大二ってこんな感じだったな」と想起したのです。そして裏にある稽古量をも想います。

 

  • 道具の量がすごい。そして現れるスモーク。舞台作りに妥協がない、そしてこの情報量の多さは引き出しの多さであり、日大二の強みですね。
  • 赤ジャージ5人の独白から笑いをぽろぽろ獲る会話を繰り広げるなか、ちゃんと観ていたはずなのに、果たして時代がいつなのか、観客は混乱させられます。混乱しました。「20世紀の演劇部」「いや21世紀初頭?」「コロナが出てきた?」とメモに書いてあります。いや、コロナ禍を示す象徴と化したマスクが出てきた時点で現代だと気づくべきだったか……
  • 2022という明確な数字が出てきてようやく仕掛けに気づかされました。「これ多分、制服の子らだけで会話が成立するやつだ」「ということは赤ジャージの子たちは……」と。この時点で既にもう1回はじめから観たくなる。
  • 己が死体を目撃したときの赤ジャージ5人の息遣いがすごい。大仰でないのによく響き渡る。それをたっぷり時間をかけて見せつける。本当にたっぷり。彼女たちの動揺、恐怖、絶望が痛いほど伝わってきました。
  • 「世界がどんなに腐ってても、濃厚に生きてみたかった」、叫び。我々生者は受け止められるか。
  • 朋香(宮本武蔵読んでた人、間違っていたらすみません)が入部した頃の回想を、生者の口パク&身振りと死者の声によって表現していたのが新鮮。確かに現在からシームレスに回想するなら赤ジャージたちに頑張ってもらわない手はないなあと。ただ、回想の後半がどこかでごちゃついたようで、よくわからなかった部分があった気がします。私の理解力の問題かもしれません。
  • 「強くなりたい」、これも今の子たちの叫びだ。強くなりたいと願う世界は、つらいよな。
  • 朋香が発声する中で剣豪となる赤ジャージたち。あのラストの、暗闇の中の一条の光のような切実さ、なのに圧倒的な爽快感、なんなんでしょうね。

 

 おそらくこの作品は、初見で全てを理解させる構造ではないと思うんですよね。特に前半なんかは、あえて理解を追いつかせないようにしている気さえする。前半で取りこぼしたものの正体が後半で掴めて、でも時間は不可逆だから味わえない、味わうために2回目へ、という複数回見て完成する作品。

 それは実に深い作品だと言えるけど、作品のスタイルとしてもろ手をあげて讃頌すべきかは微妙なところだと思っていまして。観客の大半は一度しか見ない舞台というモノ、「よくわからなかった場面」「よくわからなかった時間」「よく理解できなかった自分」というものは観客の中に残り続けるわけですから、そこをいかに圧倒するか、はたまた理解させ鎮めるのか。その匙加減は、ストーリーをつくる人間にとっての永遠の課題になるのでしょう。

 

 

 

3.タイトルコール 都立立川国際中等教育学校(多摩南地区)

 今回ダンスを取り入れる学校結構多かったですよね。踊らなきゃやってられないよねこんな世の中。

 そんなダンスのファーストペンギンが、都立立川国際さんでした。眩しい。瑞々しさにやられそうです。

 

  • 「癖が強い岡田くん」とメモしてあります。男女比率が大いに偏っているとマイノリティは浮きがちですが、岡田くんは個性が発揮されながら、空間に馴染んでいました。和やかな雰囲気◎。
  • ダンスと共に空き教室での生活のダイジェスト。若い……眩しい……。現役の頃に踊る演目1コくらいやれば良かったなあ。
  • そんな楽しげな雰囲気に進路希望調査で翳りが。ここで彼女たちが高校生であることが判明します。中学生なのかな? と勘違いするくらいに幼い。幼すぎない? とは思いました。シリアスなシーンとの精神年齢の差が激しいし。でも後半で子どもを終えるためのジャンプ台としてギャップは欲しいので、難しいところですね。
  • 風紀委員面白い。風紀委員らしいキビキビした動きがさらに笑いを誘います。「座りなさい。……決まってないです」のシーンが午前一番ウケていました。
  • 歳をとるたびにできることは増えるのか、減るのか。本当は増える、大人として増えてほしいと願いますが、彼女たちは減ると考えても当然なんですよね。ネバーランド然としたあの教室が居場所だから。増えると言う風紀委員との考えの違いに静かに打ちのめされていました。言葉を選ばず誤解を恐れずに言えば、人は生まれ育った環境によって、そして知能によって、臨める世界の広さが変わる。ゴールにシュートを打つだけの人生があれば、ゴールがどこにあるかすらわからない人生もある。何かがあれば、彼女は頭を抱えなかった? 何かが違えば、彼女は死んじゃいたいなんて思わなかった? 同じ学舎の中に潜在する格差に、作品の雰囲気に見合わぬ悲哀を見ました。
  • シリアスに転じ会話劇になると、途端にみな口と動きが連動しだしたように思いました。微動だにせず声が出てしまう瞬間、黙っていても動いてしまう瞬間があるはずです。
  • 風紀委員がただの面白要員ではなかったとき、準部活を「羨ましかったから」と言ったとき。良かった。人間味が急に溢れる。すごくほっこりしました。
  • にしてもりこが抜けて5人になった時点で「5人未満になったら廃部ですよ」的なことを一言も伝えないのは少々酷だ……
  • よく言われる電話の演技の追求。ちゃんと相手が話す内容、相手の話を聞く秒数を想定しているか。
  • 最初と最後で構図が重なりましたね。ああいうの自分弱いです。

 

 主人公であるむつみが教室側=子ども側になってしまったため、どう結末を持っていくのか少しハラハラして観ていましたが、ビターな終わり方でした。ある意味大人な終わり方。しかしそれが大人だ、とは安易に言いたくありません。

 

 

 

4.ぼちぼちぼちぼっち 麻布高等学校(中央地区)

 このように後で感想をまとめられるように全ての演目でメモを取っていましたが、麻布さんが一番メモ取れなかった。それだけ舞台に釘付けになりました。いやーすごかった。なんでこんなになったんだ?

 

 

  • そういえば麻布は男子校でした。と、卒業式が始まった瞬間に思い出しました。良いですね。女子役。振り切れている。
  • 序盤のコントがエグい。昼休みを挟んだことで弛んだ会場の空気を一気に麻布のものにした。ミニマリストだから」、好きです。
  • バッと一人に当てたりヒトダマを表現したり、ピンライトが縦横無尽すぎた。たのしい。照明すごい。
  • 大道具。墓は壇上で、墓石は演台で?上が壇上なら下はパイプ椅子スペースだ?パイプ椅子スペースは体育館の墓場だ??? まず発想がすごい。そしてその発想を完全に形にした大道具班の努力も伺えます。「パイプ椅子スペースは体育館の墓場」、額縁に入れて飾っておきたい。
  • 睦美が2人!? の瞬間、観客動揺のあまり思わず声出てました。きっと部員の方々はそれを聞いてしたり顔をしたことでしょう。
  • パラレルワールドものだった。しかし彼らはどうも実在している気がする。劇中で代弁してくれたとおり観ているこっちは訳わかんなくなってるんだけど、突飛な言動掻き混ざる思考、あさっての方向へ向かうその一瞬は、観客も人生のどこかで経験していて、それがいくつものコネクションになっている。
  • 聞き取りづらいところがちょこちょこあった。でも面白かった。だからこそ聞き逃したくなかったなあと思います。しかしこのスピード感だからこそ面白いんだよなあ。
  • 醍醐と長屋のシャウトがめちゃめちゃシャウト。デカいとか強いじゃない、シャウト。でも雑味がなくて心地が良い。
  • 幕を下ろさず礼という飾り気のなさ、純粋さ。最後まで男のバカとパワーに溢れていました。日大二とはまた違う圧倒力。

 

 抽象的になってしまいましたね……。100を理解できたわけじゃない、けど大いに面白かった。

 彼らはきっと100を理解してあの演目を掲げたんですよね。麻布高校ってえらく優秀で名の知れた高校でさ、自分より遥かに優秀かもしれない子どもって大人にとってはすごく怖い存在なんですが、彼らはどうも愛せてしまうなあ。愛すべき天才たち。

 

 

 

5.踊り場からあらりば 都立小松川高等学校(城東地区)

 「あらりば」という言葉を学がないもので存じ上げず、帰路で検索してもそれらしいものが出てこなかったのですが……、

 

 

 もしかして「荒川(Ara River)」ってことですか!?!!??!?

 違ったら私が恥をかくだけです。あとこのブログ名と似ていますね。はい、もう一恥かきました。

 

 

  • パンフレットの学校・作品紹介を読んだときに、なんだか不吉な予感がしたんですよね。「学校がなくなってしまえばいいのに」「代償が伴う」「何も考えずに楽しもう」……これも一種のフラグですよね。乱舞から始まったと思えば崩れ落ちて暗転するし、パンフの隅から劇の隅まで、馴染みのあるテンプレートから忍び寄る予感まで、フラグを使いこなした演目だったな、と振り返って思います。
  • 台風のお知らせをした後の先生の言葉を、騒いであえて聞かせないシーン。多分意味があるんだと思いますが、どこにかかっていたのか、すごく知りたい……
  • 浸水するまで常に舞台を縦横無尽に駆け回る、目を飽きさせない嬉しい工夫。タクミの演舞イカしてました。
  • 自分のセリフでない時間も演技が継続していて◎。彼女たちの生活を感じられました。はけきるまで学生らしい会話が続いていて、入念な舞台。
  • 2度目のダンス、なんで先生も参加しているんですか。誰よりもキレキレじゃないですか。そして手拍子だけでなく拍手まで起こしました。会場の空気司ってましたね。
  • ボックスを放送室に変える楽しい仕掛け。「赤組、頑張ってください。ずるいです。」みたいなアナウンス、めちゃめちゃ面白かったです。彼女は体育祭のアナウンスの経験ありますね。ボックスもかなり小さいのにガンガン人が乗れていて、すごく頑丈に作られている。
  • 先生が言葉を選ばず言えば無能として描かれていて、それであのような結末だったので、もしかすると制作する際に何か参考とした実際の事故があったりするのかなあ、と思ったりしました。そうでないならば、もう少し先生の大人として頼りになる、信頼できる要素を描いても良いのではないかな、と思います。
  • 浸水し、浮かれていられなくなり、仲違いが始まる。集団パニック的な場面も。ここで人物の様相が一変するのはともかく、みな均一の怖がり方をして「恐怖する集団」に転ずるのは果たしてリアルなのか……実際遭遇したら同調し合ってそれこそ集団パニックを起こすのでリアル、なのかも……どうなんでしょう。難しいところですね。
  • ここで、この作品ではBGMSEがダンスと遊び以外でほとんど使われていないことに気づきました。窓開けたときに風の音は入れられたし、不穏な曲を流せるタイミングもあっただろうけど、あえて静寂を選んだ。これを積み重ねてきたことによる終盤の重たい雰囲気作りが見事でした。ああ、ここで時間を使えるんだと。我々の実際の生活は静寂が日常でドンチャン音楽響くのが非日常だけれども、ここで逆転する。「この光景が我々のものになる可能性」が仄見える。高校生らしいハチャメチャを客席で見ていたはずなのに、気づいたら死が肉薄している。彼女たちと同じように。今になってまた恐ろしくなります。
  • 最後のサクラ! なんだ! そこには何が広がってるんだ!!

 

 

 思い出としては「面白かった」のはずなのに、文字に起こすと天から地、否、天から水の転変が凄まじい、リアルに迫る作品でした。恐るべし。

 

 

 

 

6.拝啓、十六の僕らへ。 都立東高等学校(城東地区)

 タイトルで覆い隠されているけれど、コロナはやはり数多くの学校の演目に取り上げられていますね。それだけ馬鹿にならない量の災いと影響をもたらしやがりました。頑張ってるよ。みんな本当に、よく生きてくれました。

 

 

  • 最初の最初、多分本当に演劇部としてちゃっちゃか踊っただけなのが、今になってまた面白くなってきました。
  • メタネタ豊富(ほら全然笑ってくれないじゃん、良いところに来たまるで高校演劇etc)。クドさなく面白かったです。
  • コロナについての独白、得意なことについての独白、瑠璃にのしかかる期待、配信でマスクを外したら手のひら返し等、オムニバス形式?のシーンたちが印象的。ここは登場人物の内面を直球で開示してくれる、親切なシーンでありがたいとともに、自分のイメージの範疇を出ない、自分のではなく彼女たちの内面として扱うには踏み込みがもっと欲しいのかな、とも思いました。自分にも難しいこと言ってるな。ピアノができることへの期待といったらあんな感じになるだろう、マスクを外して手のひら返しといったらこんな反応になるだろう、という観客が想定する大まかなイメージを、より具体的にすることで越えてほしい。具体的を越えて、個人的でも良いんじゃないかと私は思います。観客に全部共感してもらおうとしなくてもいい、どこかしらに重なれば感動できると思うので!
  • 成長過程の演じ分け◎。小学校低学年と高学年(多分)の微妙な差がすごい。
  • 瑠璃「私、何になるんだろう」、瑠璃を悩まし揺り動かす原動力となる、象徴的なセリフですよね。しかしそのあたりで舞台上がだいぶしばらくの間静止していたので、セリフが飛んだのか暗転忘れか、正直事故ったかと思いました。あれはおそらく音楽終わりキッカケだったんですよね。長めに静止するにしても少しずつ照明は落とす等して、「ミスした?」と観客を現実に引き戻すことがないようにしたいよな、と思います。
  • 瑠璃が母親とピアノの先生に叱責されるシーン、流石にフラッシュ長時間が目にきつかったです。(あんなにフラッシュ焚いていいんだ芸劇……
  • 合唱部の5人の演技が、今回観た学校の中で一番、ナチュラルだったと感じました。楽などはアニメキャラ的な属性が強くはありましたが、それでも一番人間として生きている感、実在性があったなあ、と。
  • 終盤の上手でパート合わせ、下手で瑠璃と悠里が会話してるシーン、雰囲気が良くてめちゃめちゃ好きです。あとその歌がすげえうまい。

 

 最後のシーンで主要人物みんなの叫びを聞くことができました。このストレートさは、やはり高校演劇の特権だと思います。瑠璃はこれから。「やっぱ嫌い」の先、60分の先が、演劇部の中で思い描かれていると嬉しいです。

 

 

 

7.オリビアで聴きながら 都立町田高等学校(多摩南地区)

 本日ラスト! 作風が暖かすぎて、終盤は「Eテレじゃん……」って思ってました。多分この表現は違います。面白いとか温かいという感想が先走ったけれど、観ているうちにヤバさが伝わってきた作品。

 

 

  • 「田中さん」「「「はい」」」(どっ)のテンポの良さ。なぜか観客のウケも含めてテンポが良かったです。
  • 人は田中さんで(みな)、でも洋風な雰囲気で、ところが出てくる料理はお袋の味で、しかし店名はオリビア。この心地良いズレ。
  • 時間経過は黒子が掲げるフリップで表現。見飽きもしない黒子もステージ真ん前で見ると新鮮。
  • 常に人物の半分は後方を向く座り方。後ろ向かって演技すると演劇部では怒られがちですよね。でも私は後ろ向きもいいじゃないと思うんですよ、声が届くなら。都立町田さんはセリフを聞き取れないってことが全くありませんでした。結構後ろ向いてたのに。大半お婆ちゃんなのに。お客さんに顔見せますからーってわざわざ扇形になるのも興が削がれるものです。
  • 道具のこだわり。手元で光る老眼鏡、下手の先にあることにしたっていい冷蔵庫、舞台奥の全ては見えないキッチンにも道具が一式。演劇は道具を揃えるのが正義、ではないけれど、この徹底的なこだわりは目を見張りました。
  • 順番に繰り広げられるお婆さんの回想、端役の声を回想外の人が担っていて、口元がマスクでカモフラージュされてるの上手いなーと思いました。マスク超有効活用。というかこの回想、演技の転換若返り、マスクを揺らさないようにとか、滅茶苦茶稽古難しかったろうなあ。
  • 戦争の話をしている瞬間、現代の紀子さんも若返ったようだったのは気のせいでしょうか? 意図的だったらまーじでやんばいと思います。演技のレベルが高すぎる。明日でも鳥肌立てる。

 

 

 最終局面で急なスマホ&三脚登場、何かと思えば田中さんたちTikTokデビュー。そしてバズりV字回復。「そうはならんやろ」な展開ではあるけど、コロナだってそうはならんやろだったんだから、許されるべき展開でしょう。そして全員、愛すべき人々でした。

 

 

 

 

 

  〜1日目 終演〜

 

 芸劇を出ると、無性に腹が空いていました。こんなに空腹の実感があるのも久しぶりです。劇観てただけなのに。でも観劇ってカロリー使うよね。出演した学生の方々は私よりカロリー使ってるのでたくさん美味しいものを食べてください。

 明日はシアターイーストを通しで観させていただきます!! 2日目の学校の学生さんも頑張ってくださいね!

 

 

 

 

 

もう翌朝6時ですけど私大丈夫ですか?