睡眠を納める義務
「寝るのは馬鹿だ、みんな寝すぎだ、自分は死んでからたっぷり寝る」
トーマス・エジソンの残した名言。偉人の名言・格言にはどれも感嘆してしまうものだが、これだけは「まじぃ?」としか言いようがない。
大学生あたりから、絶対に一定時間の睡眠をとらされる呪いにかかっている。
中学生高校生の頃は、通話やゲームや読書に明け暮れて、寝かせておいた課題と起きてきた朝日に追われて、散々夜を明かしたものだった。幼い頃〈静〉で〈無〉だった真夜中という時間を謳歌するのは、なんとも楽しかった。21時に律儀に布団へ潜っていた小学生の私が聞いたらひっくり返りそうか? 流石にそんなことはないか。
で、当時も睡眠不足には変わりなくて、翌日の授業なんか半分爆睡したものだが、それだけで済んでいた。頬杖をつきヘドバンするとこう、ね、ぱあってするんですよ。脳が。だから眠気を吹き飛ばして昼休みや実技の授業を健やかに受けられていた。
そんな便利な自分は、もうどこにもいない。
23時に寝ようが、1時に毛布を被ろうが、2時に目を瞑ろうが、6時に朝日を観測しようが、身体は8時間睡眠を遂行しようとするのだ。
「すいませんあの、今日の夜明日締め切りのレポート書かなきゃいけないんで徹夜したいんですけど大丈夫そうですかね」
「あ大丈夫ですよ。何時頃まで活動されます?」
「そうですね、明日1限もあるので7時くらいまでには終わらせる予定です、はい」
「7時ですねー……わっっかりましたではですね、7時から8時間なので15時まで、睡眠のシフトずらしときますね」
「あっ……シフトずらすというか、入れないんですよ」
「入れない?」
「その、1限終わった後レポートの提出締め切りがお昼の12時でー、でその後4限と5限も授業入ってるんですけど、なので15時まで睡眠だとレポートもアレだし、4限も間に合わないので」
「いやいやいやいや、今から明日の7時まで入れないんでしょ? 睡眠」
「はい」
「じゃあ代わりに7時からシフト代わるのは当然じゃないですか?」
「そこをなんとかなりませんかね」
「うるさい。死ね。」
みたいなね。
私の精神は安定しているので安心してください。
もう徹夜するなら、翌日一日を犠牲にする覚悟をしなければいけなくなりました。
翌日が寝られる日なら、頭と身体は心ゆくまで惰眠を貪ります。14時とか15時になります。死にたくなりますね。
翌日が寝られない日なら、一日中生産効率が2になります。行きから帰りまで頭痛がします。たまにブッチして集合時刻に起きます。死にたくなりますね。
生産効率2と書いてふと思う。「IQが2」とか「数学2点だった」とか「2秒で終わらせる」とか。「ほんのちょっとの数量」を表すなら1が適役だったはずなのに、一体いつからプラスイチされたんだろう。大皿に料理が1コだけ残ると、誰も取ろうとしないのと同じ原理?
意味もなく徹夜してしまう日が、新年度になってからぽつぽつあります。睡眠に奇跡なんか求めないで、諦めて明日の自分に託す勇気を持ちたいものですね。
今日のお料理☆☆
「夕飯決まらないよ〜〜〜」とLINEグループに貼ったら、「チンジャオロースにしよう」と返ってきました。
クックドゥ便利。たけのこの水煮なんて、これにしか使わんなあ。