ヒカリゴケを眺むような
隣から、早口の弾む声が聞こえた。親かきょうだいか、家族と話し込んでいるようだった。きっといつもの私は、話し相手としては物足りないのだろう。というか、二十数歳の男ってこんなに家族と喋るものなのだっけ。
友人のいろんなお宅を訪ねてきて、三者三様の家庭観を味わってきたが、私のいない一家だけの、本当に家族だけの時空間には触れてこなかった。トワに仲睦まじい親子も、それはそれで存在するべきだろう。
今夜はひとりの夜だから、少しばかり贅沢がしたくなった。贅沢といってマクドナルドが真っ先に出てくる自分に辟易しながら、ナゲットを15ピースも頼んだ。駄弁るJKを追い出す店内。ちょうど払えるよう小銭を握っていると、店員は「580円です」と言う。全然390円じゃない。しかし私は「ええっ、390円じゃないんですか」とか言えず、平気な様子で紙幣を置いた。
そういう、場を乱しかねない言動が、自ずからできない性分である。クレーマーになりかねないから、損する金額と瞬時に天秤にかけ、平穏を保つのを選んだ。こうやってダンマリで損してきたこれまでの金額を合わせたら、その金で3日くらい過ごせそうだ。接客だけは量をこなしてきたから、できる限り楽な気持ちで、仕事を終えてほしいと思うんだよな。
太陽、そろそろ顔を見せてくれ。全身が陽の光を浴びたがっている。
最近になってようやく、眠りにつくときに豆電球も点けず、真っ暗で眠れるようになった。というより、灯りがあるとよく眠れなくなってきた。これがあるべき寝姿なのかもしれない。
昔から橙の豆電球は、寝る間のお供だった。何年経っても切れることがない橙は、話しかけたら何か答えてくれそうな、近い光だった。消灯派の友達に合わせ、暗闇の相部屋が静まった後、自分ひとりのために豆電球を点けたときもあった。そんな彼を、私の肉体は卒業しようとしている。
雨天、曇天だから、ここ数日目を細める光と会っていない。浴びている眩い光といえばブルーライト、ブルーライト、ブルーライトで、だから頭痛が止まないんだ。全身を大きく捻ってないから、身体もバキバキなんだろう?せっかく買ったヨガマット、ちゃんと敷いて、リングフィットやらやっていこうや。
そんな日を送っていながら、実は「人生なんとかなる」の方だったんだ。僕のテンションは。