さくらばのダベリバ

頑張って生きてます。ダベるだけで読者増を目指す、チャレンジブログです。

ピーポーに釣られるPeople

 眠ぃぇー。このまま夜勤に行ったら死人が出るぞ。死人は俺だ。

 

 お椀もスプーンも物干しも足りなくて、ニトリに向かう途中、スシローに救急車が停まっていた。駐車場の頭上に店舗があるタイプで、隊員たちはみなやりづらそうに動く。あたってしまったのだろうか。イカかタコを喉に詰まらせてしまったのだろうか。それともテーブルのアレは手洗い場だと信じてしまったのだろうか。とにかく、無事であってほしい。

 そんな救急車の周りで、傍観者がわらわらといるんだ。子連れで、自転車を押して、サンダルで、救急事態を観測していた。カメラを向けていた輩はいなかったと思うが、私はそこまで詳しく目をやらなかった。

 

 職質されてるとかこどもの泣き声とか、皿が割れる音とか、そういう負のモノが街中で現れても目をやらないようにしている。ただでさえ恥を感じているのだろうから、第三者の視線で追い討ちする必要はない。

 自分がやらかしてしまったときの、あの凍てつく視線を覚えている。車内で叫ぶ我が子に狼狽えるというより、周囲の自身への蔑視に怯え、愚かな言動をする親御を憶えている。声をかけられたならそりゃ振り向くが、求めていないのならば、目の槍場を合わせるべきではない。

 

 なーんて言ってますが、異変が気になってしまうのが人間というもので、私もチラチラと見てしまったんですけどね。

 

 救急車。救急車ですね。私は乗ったことはありますが、乗せられたことはありません。幸いなことに。でも生涯のどこかで乗せられるのが、医療が発達した現代のある種「人間らしさ」だったりするのかもしれない。

 社会科見学で近所の消防署で見た救急車も、成人してから付き添いで乗ったアンビュランスもよく憶えている。多分その2つの記憶は、トリアージで結びついている。傷病者の容体に沿って治療の優先順位を決めるトリアージ、それに黒の0[死亡]があることが、幼い頃の私には静かな衝撃だった。ベロンベロンゲーゲーで、知性のかけらも落とした友人を、死ぬかもしれないと一抹の不安を持って見つめ、車内を見渡すとまたトリアージがあった。貼られたくないものだと思っているそばで、ゲロを垂らした友人が不思議とハキハキと、隊員の質問に答えていた。

 

隊員「保護者さんの連絡先わかりますか」

友人「はい。090、○○○○-××××です。」

さくらば「あ、こいつのスマホで確認してみます。ちょっと、iPhoneのパスコード教えて」

友人「はい。」

 

 

 今日はニラダレを作り、白米やら餃子やら、鶏胸肉やらにかけて食べました。夏バテに抗っていくぞー。

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ジャムの瓶に入っている違和感。