さくらばのダベリバ

頑張って生きてます。ダベるだけで読者増を目指す、チャレンジブログです。

「僕の顔をお食べ」!?!?!?

 頭が働いていないなーーーと感じる。なんせ今日は睡眠リズムをゴリゴリに直そうと完徹したのだから。ねみぃ〜。今日はこの後すうやすや眠れそう。ちゃんと朝に起きてくれよ俺の身体。明日は卵の特売セールなんだ。

 

 なんと同居人がお金配りに当選したそうです。あの前澤社長の。まさか身内から出るとは思いませんでした。1000人に1万円。もっと夢をくれよおとは思う。でも10人に100万円よりかは幸せになる人間が多い。

 ZOZOTOWNの前澤社長のお金配り。どうですかみなさん。なんだどうですかって。

 応募、したことありますか。

 私は数年前、将来が不安になったとき、一瞬リツイートを押しそうになりました。

 でも幼い頃の私は押さなかった。まあ当たらんやろという諦めと、「ここで当たって富を得たとして、前澤さんのおかげで人生変わりました、とか話すのかおどれは」という、いつもの反骨心だ。

 

 お金配り、世間の印象は恐らくだが、良くはない。欲まみれだけど。リプライ欄にぶら下がる懇願のツイートを、そしてリツイートをする人さえを、時として人は滑稽だと笑う。そこまでして金が欲しいかよ、と。

 

 

 いや待て、金は欲しいだろ。

 

「金は金より大切なものを守るためにある」「金で買えない幸せはあるが、金で回避できる不幸せが多すぎる」どこかで覚えた最近のセリフは、格好良さを保ちながらもしっかり現実を向いている。(出典分かり次第追記しておきます)

 「金がすべてかよ」なんて言うが、昔の偉い人が金がすべてになるようにしたんだ。だってそのほうが便利だから。望みに応じてやれ肉やら武器やら愛娘やら、代価を取っ替えひっかえしなくていい。金を世界共通の価値にして、金さえ集めれば安心できるようになった。

 金がすべてであることに、現代人はあやかるべきだったりする。

 だから金はとても欲しいし、あわよくば5000兆円欲しい。例のお金配りだって、フォローとリツイートを押すバイトだと捉えれば、破格なバイトに過ぎないじゃないか。どこに揶揄されることがある。

 

 それがあるんだ。

 前澤社長は令和の石川五右衛門でなければ、令和のアンパンマンでもないんだ。

 富の再分配であることは事実だ。決して犯罪じゃあない。でもどこかに気持ち悪さを感じる。それは端的に言ってしまえば、やはり『上下関係』に落ち着くのだろうか。

 

 あのお金配りは、得られる者が限られていて、叫んでも得られない者の方が圧倒的に多くて、そんな彼らはお金配りを喧伝するとともに、殿を支持し、殿に夢を語る必要があるのだ。

 

 義賊に爽快感すら覚えるのは、どよめく民衆に構わず町中にばら撒き、恩を着せずクールに去るからだ。アンパンマンに不快感を抱かないのは、顔を食べたい理由など問わないからだ。腹の虫を鳴かせるこどもの元に飛び、うまそうな顔面をチラつかせながら「どうして僕の顔を食べたいのカナ😄⁉️」とか訊いてくるアンパンマン嫌すぎるじゃん。

 前澤社長本人にそんな意識がないとしても、どうしても授ける側としての余裕というか、神様でもないヒト科のおじさんが神の権能的なものをふるおうとしている感が滲んでしまって、一般男性なのかもはや別の生物なのか、彼への認識の歪みが気持ち悪さとなって現れている気がする。いいことなはずなんですけどね。

 

 だから今のように、全国民から応募者へ、そしてランダムへ、というふるいにかける方法をとり続ける限り、貰えるもん貰おうぜ派の人がじゃんじゃん応募し、気味悪さを覚える派の人が彼らをひっくるめ、新興宗教への如く笑い物にする。

 国民の中での分断は解消されないだろうな、と思います。

 

 

 ゴミを捨てにドアを開けると、5月の朝はすっかり夏で。ありし日の体育祭のときもこんな具合の熱だった、と懐かしむのでした。